「青年の教養」

「新しいものは正しいのだ」とか「新しいものはカッコいいのだ」といった価値観で、私達以降の世代は今日まできてしまっています。 勿論こんな「雑」な「説」は承服できないという人がいらっしゃることを承知してますが、乱暴にすすまないと面白くないのでお許し下さい。(笑)
前に紹介した中央公論1月号の座談会のなかで山崎正和氏が「明治以降というのは圧倒的に学問、知識、教養を青年のものにしてしまったのです。 江戸の教養は老人や中年のもの。 若者は肉体労働をしなければならないか、勉強するにしても丸暗記で四書五経を覚えているだけの世界でした。 それが明治になって西洋の知識が入ってきた時に、一番柔軟だったのは若者でした。 明治の時代の転換期に教養は「青年の教養」に変わってしまった。」と述べています。 そして思い出したのですが前に紹介した福沢諭吉も 「学問のすすめ」のなかで江戸時代に必須の学問 「国学」は何の役にもたたない。 これからの日本が必要としているのは 「洋学」である。と書いています。 「洋学」を学ぶことのできたのは青年でした。
つまり日本は明治以降ずっと青年がリードしてきた国なのかもしれません。 ところが1959年の皇太子(現平成天皇)御成婚と1964年の東京オリンピックの2大イベントをきっかけとして、日本の全ての家族にTV受像機が普及して以降教養は「青年の教養」から「子供の教養」に変わってしまっていたのです。 「子供の教養」が教養という定義にふさわしいかどうかの議論はここではしませんが、TV番組を長時間見ることのできる人は「子供」ですから 「子供の教養」が時代をリードしはじめました。