ゆっくり動く時代2

「画期的な新しい技術なんてものは そろそろ出尽くしたんじゃないだろうか?」とか
「これからはあんまり面白くない時代が続きそうだ。」とか
あまり前向きじゃない発言をしています。
こんな発言をしているので、皆さんからの大反論を浴びるだろうと内心ビクビクしていたんですが
皆さんが冷静に対応してくださったり、あるいは無視して下さっているので(笑)「ホット」しています。
しかし 科学技術は 日々進化しているわけですから 私の発言は いささか不適切だと反省しています。
「画期的な新規商品なんてものは そろそろ出尽くしたんじゃないだろうか」と言いなおします。(笑)
この「前向きじゃない」考え方に至った経緯は これ迄も何度も書いているので、 ここでは改めて書きません。

「日々変化し、進化しなければならない。」という考え方に 私達は取り付かれています。
もちろん 私自身もこの時代に生きていますから、「世の中は日々変化し、進化する」のだから「自分も変化し、進化しなければならない」と疑いもせずに 今迄生きてきました。
私達の「考え方」や「ライフスタイル」が多くの技術の進化によって、常に変化してきたことは 間違いありません。
しかし 一方で「新しい考え方」や「新しいライフスタイル」を急激にとりいれるかわりに
それ迄あった「価値のある古いもの」の多くを捨ててきたのも事実です。
「古いものを捨てるのは しょうがないよね! 新しい方がカッコイイんだから!」と考えてきたのも 大きな理由の一つです。
それ迄あった価値観や文化を壊し、多くを捨ててしまったのは、なにも今の時代にかぎったことではありません。
いつの時代にも同じことがおこりました。
明治維新の時も 同じようだったことは 前にこのブログで紹介した 福沢諭吉の「学問のすすめ」のなかで、あきらかです。
こういったことが起こるのは「時代が要求」しているとみんなが考えたからです。
明治維新(1868年)から 約150年間で、私達日本人は欧米が約300年かけてやってきたことをしてきました。
欧米諸国は 1700年頃から産業革命がはじまり、市民革命を経験し、世界中に植民地を次々に拡大して
明治維新の直前、もっとも遠隔地である中国を植民地化したあと、最後に残されていた 日本にやってきました。
明治維新後 日本はとりあえず欧米に追いつくために「古いものを捨て、新しいものを取り入れる」ことに全力を尽くしました。
そうしなければ、日本は「植民地」にされてしまうから そうするしか「しょうがない」という状況だったのです。
1904−1905年の日露戦争に 辛くも勝ったのですが、日本は増長してしまい、結局 1945年に敗戦しました。
明治維新時に「植民地」にされてしまうことは 免れましたが、1945年から6年間アメリカに占領されました。
1951年にサンフランシスコ講和会議によって、米国の「占領時代」は終わったのですが、同時に日米安全保障条約が成立して 米軍は引き続き駐留し、現在に至っています。
そんなことから 1945年以降 日本はアメリカの影響を 政治 経済だけではなくて、文化に至るまで 深く受けています。  (続く)