ゆっくり動く時代 4

団塊の世代」が小学生中学生のときに視た アメリカ制作のホームドラマを 彼等は「理想的な家庭像」として とらえてしまったのでしょう。
アメリカ制作のホームドラマが 絵空事のドラマ(バーチャル)に過ぎないのですが、まだ子供だった彼等は「リアル」だと受け取ってしまいました。
小さい子供が TV画面から吸収する情報を「バーチャル」と「リアル」あるいは「真実」と「デマ」とを区別するには かなり経験を積まなければなりません。
子供には時間がたっぷりありますから、毎日TV番組を見続けました。 そして雑多な知識と情報を「バーチャル」と「リアル」の区別をつけないままに吸収しました。
TVのなかった時代に育った子供(私のことです。)の知っていた世界は、自分が遊びまわっていた近所とそこで起こったことや体験したことしか なかったのですから、とても狭いものでした。
それが TV番組を毎日長時間見続けた団塊世代以降の子供達は 自分が体験したこともないことを沢山知ってしまうし、行ったことのない世界を知ってしまいます。
団塊の世代以降のTVを見続けた子供達は TV以前の子供達(私の世代以前)とは 大きく違ってしまったのです。
団塊の世代」以降の子供達は 何となく自分達は大人と同じか、もしかしたら自分達子供の方が 知識情報を沢山もっているのだから、大人より優れている とか 大人より上だ と考えるようになったのではないかと思うのです。
団塊の世代」がTVを見始めてから約10年の間に 日本は「東京オリンピック」をはさんで、好景気と 景気の後退を繰り返しながらも 各家庭は 家電製品を続々と購入し、一部の家庭はマイカーを所有するまでになりました。
団塊の世代」は 彼等が理想とするアメリカ制作のホームドラマに写された「何とも甘ったるいファミリー像」に近い世界が実現しそうな実感をもったのだと思います。
ですから「団塊の世代以降」の子供達は 彼等が理想とする方向 具体的にいうと TVで見ているバーチャルなアメリカのような社会に 日本の社会も進歩し、変化していると考えていた節があります。
団塊の世代」は そんな気分をもったまま 大学に入学しました。
大学は「団塊の世代」から見たら、とんでもない古い体制が温存されていましたから、大いに失望し「大学紛争」に突入します。
60年代末から70年代初頭にかけての「大学紛争」は何だったのかという問題は まだキチンと総括されてはいません。
いったい あの「大学紛争」は何だったのだろう?(笑)つづく