ゆっくり動く時代 8

私が「団塊の世代」にこだわって、何回にもわたって書いている理由は、「教養」というものが、60年代末から70年代にかけての「大学紛争」のなかで、「意味のないもの」と位置付けられでしまったのですが、そんなふうに位置付けをした「団塊の世代」は「どうしてそんな風に考えたのだろうか?」というのが私の疑問だったからです。
私はこのことを「小学校高学年で初めて接したTVと そこに写されたアメリカ制作のホームドラマに原因があるのだ」と、乱暴に言い切ってしまうことにしました。
ですから、これから先の私の書くことは 前提がメチャクチャですから、「それでもイイデスヨ!」と思う人にしか おすすめできません。(笑)
団塊の世代」はアメリカ風の「新しいもの」にしか価値を認めない あるいは 興味を示さなかった世代です。 ちょうど60年代のなかばからは「アメリカ制作のホームドラマ」で見た新商品や新サービスがつぎつぎと日本に登場しました。
そして70年代にはいったら、それらの価格が下がって誰にでも購入可能になりました。
日本の経済は右肩上がりで成長し、円が強くなって 海外団体観光旅行も可能になり、農協をはじめとして「おやじ」達は台湾に大挙出かけました。 海外ブランドが 次々と日本に上陸し、ヨーロッパの一流品を身に付けることを おばさん達は覚えました。
アメリカ西海岸のカルチャーが雑誌「ポパイ」を経由して入ってきて、サーファーが登場します。 若者はアメリカンカルチャーにますます染まります。
「クロワッサン」が現マガジンハウスから発刊されて、結婚しはじめた「団塊の世代」がどんな風に新婚生活を営むべきかを親切に教えましたし、子供が生まれると「ニューファミリー」とひとくくりにして、カッコイイ新しい家庭像を提示しました。
(「ニューファミリー」のモデルは アメリカ制作のホームドラマを手本にしていたと、私は思っています。)
全てが前向きで、毎日毎日新しいものが生まれたり、輸入されたり、紹介されたりで猛烈に忙しかったのが、70年80年代でした。
団塊の世代」が先導して、「ニュープロダクツ」「ニューアイディア」「ニューテクノロジー」「ニュー○○」といったように 全ての既製のものに「ニュー」を付けて 既製のものを急速に陳腐化させました。
私の関わっていた音楽の世界でも「ニューミュージック」という言葉が生まれました。
でもニューミュージックはすぐに古くなりました。(笑) この時代は 全てが「ニュー」でなければならなかったのです。(笑)
全てが「ニュー」の時代は 当然のことですが、「伝統」とか「古典」といったものは軽んじられます。 「過去を振り返るな。 ひたすら前進あるのみ。」でした。
80年代初頭にはコンピューターが個人のレベルでも 少しずつ使われるようになり、音楽にも使われました。 
82年には CDが世の中に出ます。
83年には任天堂ファミコンが大ヒットし、デジタル時代に入りました。
団塊の世代」もこの頃までは 何とかついていけましたが、90年代半ばの「インターネット」時代に入ると もういけません。
時代の先頭集団を走っていた「団塊の世代」も 40代後半で息切れし 先頭の座を彼等が「大学紛争」を起こしていた頃生まれた世代にゆずることになりました。
生まれて ものごころが付いてから ずっと小学校高学年の時に見た「アメリカ制作のホームドラマ」の風景を現実化しようと ひたすらがんばってきた「団塊の世代」は 目標をそれなりに達成したことで、彼等の役目を50才を目前にした95年頃に終えました。
なぜなら、「アメリカ制作のホームドラマ」には コンピューターは写っていなかったので、この時代をどのように乗り切るかの お手本を見たことがなかったから、どうしていいのかわからなかったのです。(笑)
時代の先頭を走る役目は、梅田望夫さんのいうように 75年以降生まれた世代に引き継がれたようです。
でもねえ、本当にそれで大丈夫なんだろうか? というのが 私の今の気分です。(笑)
団塊の世代」は「新しいもの」「カッコイイもの」に挑戦し、旧いと思った既成の社会を無視して ひたすら前進しました。
しかしその変化している社会が こわれないように社会のインフラを下支えしていたのは、彼等が「ダサイ」「旧い」と軽んじた彼等の親の世代だったのです。
「ダサイ」「旧い」という言葉には 「伝統」「歴史」「常識」「古典」「教養」といったことがらが付いてまわります。
前のめりで「新しもの」や「ニュー」を追求している時には これら「伝統」「歴史」「常識」「古典」「教養」といったものは 邪魔ですから、無視してしまうものですが、いったん「新しいもの」や「ニュー」が出現しなくなったときに、その次のステージが出現するまで、何を手掛かりに準備したらいいのだろうか、ということを 考えています。
団塊の世代」の親の世代が身につけていて 私達が捨ててしまって 省みていないものを もう一度 拾い集めてみたらどうだろうか といったところに 私の興味は移っています。(笑)