逝きし世の面影 その2

幕末から明治時代にかけて来日し、「江戸文明」を体験した数多くの欧米人は その「江戸文明」と彼等の「西欧文明」とのあまりの違いに驚いて、その「見聞」を記録に残してくれました。
その欧米人の記録を整理し、再構築し 「逝きし世の面影」 という本を出版した渡辺京二氏は 「どうあっても急いで前へ進もうとする実利主義的西欧産業社会のただ中に在ることの疲労感は この当時からすでに欧米人にあったようだ。」 と記しています。 渡辺京二氏のいう 「この当時」 というのは 幕末から明治時代にかけての意味ですから、1800年から1900年にかけてのはなしです。
たしかに産業革命がおこり 紡績機がつぎつぎに改良され、蒸気機関が発明された18世紀の中頃から欧米の社会は それまでの農業と手工業をベースとした社会から一変し、19世紀初頭には近代工業文明が成立しました。
近代工業文明が成立した時に、社会問題として深刻な「所得格差」が生まれたからこそ マルクスエンゲルスによる「共産党宣言」が1848年に生まれました。
明治維新」が1868年で、 「桜田門外の変」 が1860年ですから、 「共産党宣言」 の書かれた1848年というのは日本はまだ農業と手工業で国が成り立っていた 「江戸文明」 の最盛期だったわけです。 
もちろん欧米だって産業革命以前の18世紀初頭までは農業と手工業で成立していた社会だったのだろうから、 「江戸文明期」 と同じようにのんびりしていたにちがいありません。
来日した欧米人は 既に 「実利主義的西欧産業社会」 のなかに どっぷりつかっていただろうけれど、彼等の親の世代はともかく 彼等の祖父祖母の世代は 多分、のんびりとした 「産業革命以前」 を知っていたはずです。
「近代工業文明」 が成立している社会に育った欧米人は 「どうあっても 急いで前は進もうとする。」 実利主義的西欧産業革命の考え方に押し出されて、西欧からみるとアジアの 一番はじっこの日本にやってきました。 
日本に来てみたら、祖父祖母がなつかしそうに話していた 「のんびりした産業革命以前の高度に完成された農業と手工業のみで成立し、機能している社会」 を発見したわけです。
欧米は 「産業革命以前」も 「近代工業文明の成立以後」も 絶えず戦争や騒乱を繰り広げていましたが、日本は徳川幕府体制のなかで、260年もの間「平和」だったのですから、その間に形成された日本人の心性は 独特なものになっていたのでしょう。 それで欧米人は 「いかに日本人が独特なのか」ということを熱心に観察し、記録を残してくれました。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)