渡辺美里 西武球場ラストライブ

渡辺美里の第20回西武球場コンサートに行きました。

20回続けた夏の球場コンサートを一区切りにするということで今回のコンサートタイトルは[NOSIDE]となっています。知っている人も多いとは思うが渡辺美里は大のラグビーファンでラグビーでは試合の終わりをノーサイドと表現します。20年間続けた球場コンサートの終わりのタイトルとして選んだのは彼女らしい。

毎年西武球場に行くのには池袋発西武球場行きの直行電車に乗っていくのですが、今年はSMPの大竹君の車に乗せてもらって出掛けました。途中で美里との20年の話をしました。ここ2、3年彼女は壁にぶつかっていたようなので今日のコンサートがどのようになるのか若干心配でした。

17時少し回ったところで第1回目から第19回までの球場コンサートの映像が流れ終わった瞬間に多分19発の花火がはじけて美里が登場しコンサートがスタートしました。最初の曲が歌いだされたとき観客が一斉にブルーのシートを頭上にかかげ球場全体が青一色に染まった。もうここで私は涙が出てしまいました。

何曲か歌った後、簡単なMCをはさんで20年にわたって作り続けられた曲の中から選びぬかれた曲から構成されたメドレー、多分一曲の長さが1分ちょっとを30分弱にぎゅう詰めにして一気に歌いきりました。その勢いに圧倒されました。そこで本人が突然ステージから去りました。

モニターにはこの20年間を彼女と共にステージを支えてきた人々の名前が次々と写しだされました。そこにはすでに亡くなられた人達の名前もありました。最初の頃のステージを作ってくれた鬼塚さん、彼女の音を作ってくれたギタリストの大村さん等10人近くの名前を見たときに、また涙がでてモニターの字が見えなくなってしまいました。

最後に美里を発見し素晴らしいレコードを作ったディレクター小坂洋二最初の頃のマネージャー春名源基の2人の名前が特別に写しだされて、また涙。

後半は次々と力強く元気に歌い続け盟友大江千里の登場もあり、おおいに盛り上がりましたが、この日の美里はいつもに較べてMCが少なくものすごく歌に集中していたように思いました。短いMCの後最後の曲を歌い出したとたん、この日3回目の涙が出てしまいました。本当は、この後もう1曲あって歌いながらステージを去ったのですが、実に充実した素晴らしいコンサートでした。

音楽ビジネスを私が好きなのはこういう気分を味わうことが出来るから。

最近の大きなコンサートではモニターを使うことが多くそのコンサートに関わったスタッフの名前がコンサートの終了時に画面に映し出されるようになり裏方のスタッフはたったそれだけの事で良いステージを作ろうと頑張るのです。

映画も本編が終わるとメインの音楽が流れその後大作だと5分以上もその映画に関わった人達の名前が映し出されます。一般の観客はその部分を背中にして出口の方に向かっていくのですが何人かの人達がその画面が終わるまで観客席にいるのを見ることが出来ます。

CDを買うとその曲がどんなスタッフによって作られ、初めて見た名前から、新しい才能を発見する人がいます。コンサートや映画やCDの裏方にも拍手を送るお客さんの存在こそがエンターテイメントの質を向上させることなのだと思います。

西武球場に集まった美里のお客さんはそんな質の高い人達であったから、こんなに良いコンサートが出来たのだと思いました。

とても素晴らしい夜でした。