2006-01-01から1年間の記事一覧

「パパは何でも知っている」で知ったアメリカン・カルチャー

「団塊の世代」の先頭が高校1年生になったのが昭和38年(1963年)で、彼等がストレートで大学に入ったのが 昭和41年(1966年)です。人生の経験は無くても最新の知識と情報は 年上よりも沢山もっていますから、年上はナメラレちゃっていたんですね。 年上の…

「団塊の世代」 が子供の頃

1950年代後半から あらゆる分野で技術開発や技術革新が次々と実現し、大量生産を伴って日本の高度経済成長期に入ります。 1964年の東京オリンピックの年、団塊の世代の先頭(昭和22年生まれ)は17才になってます。 この頃 私は母校の高校のラグ…

子供の教養

私の子供の時代を思い返してみると、本当に狭い範囲で遊びまわっていたのだなあ!とビックリします。 家から北に約1kmのところに幼稚園と小学校があって、私はそこに通っていました。 正門が南向きですから、北に裏門があるわけで その裏門を出たことがあ…

歌舞伎・プロレス論

12月7日に渋谷・コクーンで、野田地図(NODA・MAP)の「ロープ」を見ました。良く出来た脚本というのは、舞台の上でかわされるセリフの裏やその裏の裏に本意が隠されていたり、あるいは隠されているように思えたりしますから、最初から終わるまで、緊張を強…

「青年の教養」

「新しいものは正しいのだ」とか「新しいものはカッコいいのだ」といった価値観で、私達以降の世代は今日まできてしまっています。 勿論こんな「雑」な「説」は承服できないという人がいらっしゃることを承知してますが、乱暴にすすまないと面白くないのでお…

「新しいものは正しいのだ」という時代が終わる?

私が小学生、中学生(昭和20年代、30年代前半)の頃までは、どの家庭にもTVの受信機やオーデイオセットがあったわけではありません。 家の中で楽しむことのできるエンタテイメントは何もなかったのです。 戦災で全てが焼けてしまったからとか、国や人…

木村尚三郎

昨日は、月刊「中央公論」に面白い座談会を発見したと書きましたが、さらに関連して月刊「文芸春秋」一月号に 山崎正和氏の面白いエッセイがでていました。 「20世紀末の世相について、それが画期的な技術革新の終わった時代であって、当分は退屈な停滞期が…

梅田望夫 丸谷才一 山崎正和 三浦雅士

あまりにも長く一つのテーマにこだわりすぎました。(笑)読み返してみると、自分とは違う別の人が熱くなって書いているみたいで 「こりゃ 読む人はシンドイだろうな?」と反省し、話をこの辺で変えます。(笑) 私は、ほぼ毎週沖縄に戻っています。沖縄で過…

レコード史 “番外編”

20世紀に入るまで、音楽に限らず芸術を意味あるものとして捉え、そして楽しむということのできた階層は、時間とお金を自由に使うことのできる上流階級であり富裕層だけで、芸術を「一般の人」が簡単に楽しむことはできませんでした。20世紀に入ってあらゆる…

レコード史 13

私は30cmLPのA面B面の構成について昨日書きました。 私はCDより30cmLPのほうが優れている、とか 良いのだ、と言っているわけではありません。(笑) 30cmLPで A面B面にわけられていた曲を、CDは 片面にA面B面を途切れることなく…

レコード史12

30cmLPが1953年に発明されました。当初は、既に発表済みのシングル曲を1枚のLPに「バサッ」と集めるという レコードが主流でしたが、そのうちに片面のも収録時間が20分強あることを利用して、A面・B面の両面(収録時間約45分)を計画的に新録音で構成する「…

レコード史 11

1982年にCDが初めて発売され、85年頃から急速に普及しました。 ビニール製の30cm LPは重いし、ほこりが付きやすいし、キズがすぐにつくし、取り扱うのにかなり神経を使います。 一方、新しくできたCDは軽くて、かなり乱暴に扱っても大丈夫で…

レコード史 11

1982年にCDが初めて発売され、85年頃から急速に普及しました。 ビニール製の30cm LPは重いし、ほこりが付きやすいし、キズがすぐにつくし、取り扱うのにかなり神経を使います。 一方、新しくできたCDは軽くて、かなり乱暴に扱っても大丈夫で…

レコード史 10

1970年代末から1980年代に入るころは、未だ家庭のなかでステレオオーディオ装置は大きな顔をして存在していました。 しかしカラーTVが居間の中心に置かれ、VHSのビデオカセットデッキがTV受像機の横に置かれ、1983年以降にはファミコンが…

レコード史 9

1970年代にこだわっています。(笑) 何度も繰り返しますが、音楽を生(ナマ)で体験する以外の方法がなかったのに、LP、シングルが普及し、レコードでも音楽を聴くことができると 「音楽愛好家」が夢中になってレコードを買い集めていたのが60年代…

レコード史 8

1970年代にアナログ技術が最高度にまで進化し、新しいAV機器が つぎつぎに市場に投入され、私達の家庭に 入り込みました。 その技術が おもってもみなかった 変化・変質を音楽にも与えました。 カラーTVが 各家庭に入り込んだ時期に、アイドル歌手と…

レコード史 7

1970年代は 日本の音楽シーンが 史上 最も輝いた時期でした。 オーディオセットが 家庭に普及して レコードで音楽を楽しむことが 普通の人でも可能になりました。 1966年の 「ビートルズ」 の武道館公演以降、海外大物アーティストのコンサートも 続…

レコード史 6

1968年の8月に私は創立したばかりのCBSソニー(現ソニーミュージック、SME)に入社し、営業に配属され、簡単なトレーニングを受けたあと、仙台に赴任しました。 担当は私一人で 地域は東北6県という ずいぶん乱暴な使命を与えられました。 東北…

レコード史 5

このところ私の書くブログはやや「クドイ」感じがします。 「1950年代にLPやシングルが世の中に出回りはじめた。」とシンプルに書いてしまえばよいのですが、私のブログを読んでくださっている方は、私よりずっと若い人が大部分なのだろうから「世の中…

レコード史 4

1950年代の中頃から シングルやLPというレコードが 日本の家庭にも徐々に入ってきました。 ほぼ同時期に TV放送もはじまりました。 一般家庭では オーディオセットの購入が先なのか、TV受像機の購入が先なのかは それぞれの家庭の嗜好や 教育方針…

レコード史 3

この数日 私は音楽の中身や質や内容を無視して「音量の増大が音楽を発展、発達させてきたのだ。」ということを書いていますが、これが非常に片寄っているということは自覚しています。(笑) しかし20世紀の初頭までは「レコード」がなかったのですから、…

音楽と技術革新 3

技術革新あるいは楽器の大きな改造がされたあとは、意欲のある作曲家は刺激を受けて、その効果を実証しようと、最大限の努力をはらい 新しい試みを挑戦して曲を作ります、 聴衆はその斬新は作品に驚き高い評価を与えて称賛するか、音量が大きすぎるとか、音…

音楽と技術革新 2

昨日はレコード史を中断して、新説又は珍説“音楽の発展の歴史は音量の増大をひたすら求め続けた結果である”をご紹介しました。 思い付いたことを書いたので、資料にあたってキチンと検証してませんから、正しいかどうかは保証できません。(笑) ここ数年「…

音楽と技術革新

レコード史1.2と書いているうちに、バッタリ止まってしまいました。 私はいつも書き始めると、本来書く筈の主題に関連はしていても 本筋とは関係のないことが頭に浮かび、それが自分では面白くなって、今 書かなければいけない主題に対する興味が突然失せ…

レコード史 2

今年はモーツァルト生誕250年を記念して、世界各地でモーツァルトに因んだ音楽祭が催されたり、日本でもモーツァルトの生涯を見直すTV番組が企画されたりして、あらためて注目されています。 モーツァルトが生まれた1756年から 35才で亡くなった…

レコード史 1

「タマゴが先かニワトリが先か」という問は、あらゆる問題に ついてまわります。 音楽と音楽再生技術の関係にも、この問は あてはまります。 エジソンが円筒式のレコードを発明し、ベルリナーがそれを円盤式に改良しました。 そこに音楽を収録しようと考え付…

直島 2

625HIROさんに先まわりされてしまいました。(笑) 直島の美術空間は「ベネッセハウス」と名付けられた宿泊設備をもった美術館と、2004年に完成した地中美術館と自然環境のなかに置かれている展示空間と、町中(まちなか)にある民家を展示スペー…

瀬戸内海 直島

10月中頃に、私は瀬戸内海の直島を訪れました。 直島は地図で見ると 岡山県に殆どくっついているのですが、行政的には香川県に属しています。 「なんでだろう」と思いますが、香川県に属することが決まったいきさつが面白いのですが、話がいつものように長…

音楽市場 2

沖縄市が建築中の大型ライブハウス「音楽市場」は、沖縄市のまさにど真ん中の「ゴヤ」の交差点脇に完成します。 ゴヤの交差点から西に向かう通りを通称「ゲート通り」といっています。 嘉手納基地のゲートに向かう通りで、この通りの左右に米兵を相手にする…

音楽市場

金曜日に沖縄に戻りました。 沖縄市が2007年7月にオープンする「音楽市場」と名付けられる大型ライブハウスの運営を民間業者に任せるという方針を打ち出して、それにかかわる委員会の委員を断続的に この3年程引き受けてました。 いよいよ最終段階に来…