「パパは何でも知っている」で知ったアメリカン・カルチャー

団塊の世代」の先頭が高校1年生になったのが昭和38年(1963年)で、彼等がストレートで大学に入ったのが 昭和41年(1966年)です。人生の経験は無くても最新の知識と情報は 年上よりも沢山もっていますから、年上はナメラレちゃっていたんですね。 年上の教養は明治以来の主としてヨーロッパ系の 翻訳教養が主だったので(?) 身に付けるには 時間をかけて 本を読まねばならず 忍耐を必要としましたが、「団塊の世代」は TV番組を見ているだけで良いのですから効率はやたらよいのです。

特にアメリカのドラマがどんどん輸入され放映されました。「パパは何でも知っている」、「うちのママは世界一」、「アイラブルーシー」、「ヒッチコック劇場」、「名犬ラッシー」、「ハイウェイパトロール」、「ボナンザ」、「サンセット77」、「ベンケーシー」、「ルート66」といった番組です。「団塊の世代」はこんな番組を吸収してしまっていますから、古臭いヨーロッパ系教養のはびこっている大学に我慢ができなかったので、昭和41年(1966年)頃から大学紛争が各地で激化しました。(アメリカのTVドラマの放映と大学紛争を直接結びつけちゃうのは 書いている私も乱暴すぎるとは思っています。 お許しください。(笑))
しかし 知識を大量に吸収し始める時期の 10歳代の初めの頃に TVを見て育った最初の世代が「団塊の世代」で圧倒的に人数も多く、最新の知識、情報を持ってしまったので、それ迄の常識的な日本人のライフスタイルをどんどん変えちゃいました。昭和39年(1964年)に平凡パンチが創刊されました。「団塊の世代」はアメリカのライフスタイルを映像で見て学んでいますから、活字の理解も早いのです。 TV番組で地ならしをしたあとに 平凡パンチが方向を示すと「団塊の世代」の若者はいっせいにその方向に動きました。「銀座みゆき族」、「アイビースタイルとVAN」、「G.S」、「ビートルズ」、「アングラ酒場」、「ゴーゴー喫茶」、「フォーク」、「ロック」等々を 定着させてしまいました。(続く)