振り子は反対側に大きく揺れる・・・その2

1980年代後半、日本の音楽界はロックミュージックが徐々にリスナーの支持を集め始めていました。
私が契約したアーティスト、ボ・ガンボス(ボガンボス)をはじめとして、エレファントカシマシヒートウェイヴ(ヒートウェーブ)ソウル・フラワー・ユニオン(ソウルフラワーユニオン)、詩人の血、くじら、といった才能溢れる多様なロックバンドが綺羅星のごとく、大ヒットの直前にいました。
その頃、ロックバンドといえどもヒットした曲には、どこかにいわゆる歌謡曲のメロディーがちりばめられているのが当たり前でした。しかしこれらのバンドの特徴のひとつは、曲の中に歌謡メロの無いことでした。

その中でもボ・ガンボス(ボガンボス)は、歌謡メロが無くてもボーカルのどんと(ドント)の、めちゃ明るいカリスマ性、めちゃうまのバックの演奏が作り出す、日本のバンドとは思えないサウンドで、新しい時代の到来を予感させました。
私は、ボ・ガンボズ(ボガンボス)が突破口になって、前に述べたバンドが次々と世の中に出て日本の音楽シーンを変え、リスナーのテイストが確実に変わる時期が到来したと自信を持っていました。つまり歌謡メロが無い曲でも、リスナーが十分楽しめる時代に入ろうとしていたのです。

それが、あるテレビ番組によって中断してしまったと思っています。
そのテレビ番組とは、あの有名な番組''いか天'' でした・・・。

私の関わっていたロックミュージシャンは、ほとんどテレビに出演しませんでした。アーティストもその周りのスタッフもテレビではなくライブという媒体を使ってロックミュージックを確立しようとしていました。そして、徐々にライブのかっこよさに引かれて、ロックミュージックを好むファンが少しずつ増え始めていたのです。

新しい音楽を知る機会が、テレビ番組だけという受動的音楽ファンの方が、大勢であるのは言うまでもありません。
この時代もそうでした。

でも、中学生、高校生の会話の中に、テレビで見ることのできないバンドの名前が飛び交うようになりました。受動的ファンも、ライブを見に行かなければいけないと思い始めたのです。

いか天が始まったのは、そんな時期でした。

以下次回・・・