商店街はどうしてなくなったんだろう?

沖縄で生活し、自分で料理をするようになって気が付いたことがあります。

すき焼きをしようと買い物に出かけました。

食品スーパーに入ってあれこれ買っているうちに商店街を思い出しました。

私の生家は東京神楽坂の隣町にあって、とても小さな商店街がありました。

神楽坂は勿論有名な花柳界が存在した(している)町で、それだけに

商店街といっても高級なお店が何軒もある立派な商店街です。

高級呉服屋、履物屋、傘屋、高級洋菓子店、和菓子屋、高級せんべい屋、袋物屋 (和風かばん屋) 等々、

料亭で使う高級食材屋や、芸者が使う高級装身具屋などがありました。

一方隣町の私の家の近所の商店街はとても小さかったのですが、普通の家庭の日常生活に必要な物だけはなんでも手に入りました。


小学生の頃、よく母親に頼まれて、夕方、買い物のお手伝いをしていました。

肉屋と魚屋は毎日、 ''御用聞き'' が来るので母親が注文を午前中に出しているので、

それにあわせた食材をみつくろって買うのが私の仕事でした。

''すき焼き'' の日は ''八百屋'' に行って野菜を、 ''乾物屋'' で卵を、 ''豆腐屋'' で焼豆腐と白たきを、

''うどん屋'' でうどんをといった具合です。

商店街をひとまわりすると、その日の夕飯の材料は全て揃ったものです。

商店街が機能しなくなるのは、必要な食材を売っている店のひとつが何かの理由で閉めてしまうと、夕飯の食材が揃わなくなり、不足の食材を買いにやむを得ず、食品スーパーに行かなければなりません。

そこには全種類が揃っていて便利なので、客が流れてしまうんだということにはじめて気が付いたのです。


買い物のお手伝いはかなり好きでした。

男の子の買い物は当時でも珍しくて、商店街のお店の おじさん、おばさん達に可愛がられた記憶があります。

しょっちゅう ''おまけ'' で一品余計にもらえるのがうれしかったのです。

雨が突然降り出すと 『傘 貸してあげるよ。もってきな』 と貸してもらったこともあります。


沖縄の食品スーパーで買い物をしながら、全国から商店街がどんどんなくなっていることを残念と思い、

食品スーパーでは 『ほれ、一つおまけ』 という声が聞けなくて、

キャッシャーに並びながらマニュアルどおりの対応をされて、 『便利ではあるけれど 何だかな〜』 と思うのです。