どんと紅白 その1

ロックの好きな人だったら 2000年の1月28日に ハワイのヒロで
脳内出血のために 37才で亡くなった ボ・ガンボス「どんと」
ことは覚えているでしょう。


「どんと」は 1962年に大垣市で生まれ 
1981年に京都大学に進学し
1983年に ローザ・ルクセンブルグを結成
1987年に ローザ・ルクセンブルグを脱退、ボ・ガンボスを結成
1989年に ボ・ガンボスは EPIC・ソニーから レコードを発表しました。


ですから、私が「どんと」と知り合ったのは、1987年頃ということになります。
この頃、EPIC・ソニー佐野元春さんを中心として 他のミュージシャンのレコードも
世の中に受け入れられて 絶好調でした。
私を含めてスタッフは 徐々に音楽的な価値観よりも 売り上げ重視に
しだいしだいに傾いていったと 今だから言えるのですが。
何となく危険だなと思っていた時期です。

そんな時、関西から骨太のバンドが 大挙して出てきました。
法政大学のキャンパスのなかで 開催された学園祭です。
他の大学の学園祭と全く趣きの異なったキャスティングをしていたのが
その頃の法政大学市谷キャンパスの学園祭でした。

ボ・ガンボス」「メスカリン・ドライブ」「割礼」などという
東京ではめったに見ることのできないバンドを見て衝撃を受けました。(続く)