インターネットの可能性の本質 2

昨日の続きです。

丸山:「梅田氏とスティグレール氏の立場も一致していて、私も同感なのですが・・・・・

丸山:「さすがに 朝日新聞です。 同じ記事に スティグレール氏に反対の意見も載せています。(苦笑)」


朝日新聞は反対意見のコメンテイターとして 社会科学者の北田暁大氏(東大助教授)の意見を載せています。

北田:「しかし IT 化の進行は別な問題も引き起こしている。
    インターネットによって 新しい形の象徴的貧困化が進んでいる」



北田:「ネット空間には 趣味や関心による共同体が生まれている。
    そうした同質的な空間の中では 同じような情報だけに接してすませることができる」


北田:「自分たちと違う価値観や異質な見方と向き合う必要がない。
    ある意味では マスメディアの時代よりコミュニケーションは貧しくなっている。」


北田:「さらに問題なのは1人1人の個人に合う情報を前もって選択してくれる新しい技術の進化である。」


北田:「いつも 自分にとって快適な情報だけに囲まれていることになる。
    情報は多様化していても、実際に個人が手にする情報は多様だとは言えなくなっている。」


北田先生のコメントは上記のとうりです。

清水克雄朝日新聞編集委員は 次のような文で記事を終えています。


清水:「不快な情報は前もって消去され、心地よい情報だけに 囲まれて人々が快適に生活する
    21世紀の未来社会。 それは(略)本物の「素晴らしい新世界」なのだろうか。」


丸山:「どうも納得できないよなあ!」です。


特に 最後の一行の「それは本物の素晴らしい新世界なのだろうか。」で終わっていますが、
そうとは 書いていませんが、「いや違う。すばらしい新世界ではない。」
という意味の文章ですよね。

丸山:繰り返しますが 「納得できないよなあ!」です。


少なくとも私はブログを始めて以来、賛否両論が 激しく書き込まれて
「心地良い情報だけに囲まれて、快適な生活をしている」というには程遠い 緊張を強いられています。(笑)

梅田さんが「ウエブ進化論」の中で
「大組織に属する人達の多くは 個としての情報がネット上に流れることを嫌いがちだ。
個人情報をさらせば 組織内で無用な詮索をされるケースもあるし 大組織の看板で仕事をしている場合には、
個としての存在感を表に向かって出す必要が そもそもない。」

という文章が 私の「納得できないよなあ!」の 答えのような気がします。


この記事は、インターネットの進化が 大学教授、朝日新聞編集委員といった
既存の「権威」の人達の「権威」を揺るがしはじめていることを
彼等が気付き始めていることを 明らかにした記事と読めばいいのかもしれません。(笑)