国立(くにたち)オペラ・カンパニー

神田慶一作曲「僕は夢を見た、こんな満開の桜の樹の下で」を27日(土)なかの(中野)ZERO大ホールで見ました。

神田慶一さんのことは、このブログでも一度書いたことがあるので記憶にある方もいるかも知れません。国立(くにたち)オペラカンパニー青いさかな団を率いて活動をしています。2003年に東京文化会館委属作品として創作初演した作品です。初演の時は見ていないので、今回が初めてです。神田慶一さんはこの作品に関しては<ルネッサンス>期の芸術家、科学者の姿勢と共通する部分を見出して頂きたいとパンフレットに書いています。本人の言っているとうりで、「原作/脚本/作曲/指揮/演出」の創作公演に関わる主要5部門を全て一人で手掛けているという、まさに<ルネッサンス>期のマルチな才能を開花させた巨匠達のような活躍です。最近、何人かの芝居で(例えば野田秀樹さんのような)「原作脚本演出主演」といったスーパー芝居人が出ていますが、オペラの世界にも出現していたのです。

オペラの難しさは、このパンフレットで、池田卓夫氏が以下のように指摘しています。

まず第一に、若い頃から劇場に出入りし、音楽劇の生理を全身に植えつけた作曲家や台本作家でない限り、オペラは創作できない。作曲家として功なり名とげ「そろそろオペラの一つも書いて“ダメ押し”をするのか」くらいの気持ちで書かれた作品は、とてつもなく楽器的で、声楽独自の表現力とかオペラ歌手の能力を無視しているのか、居心地の悪い雰囲気に満ち満ちている。肝心の場面でオーケストラだけが雄弁に音楽を語り、歌が入った途端、ベタな語りに即物的音響を与えただけの摩訶不思議な拷問の時間となる。・・・・・中略・・・・神田とサカナ団の歩みは、日本語の創作歌劇が抱える問題点を一つずつクリアしながら、何も知らない人が観ても「面白い」と思える舞台をつくるための挑戦以外の何物でもない。

「僕は夢をみた、こんな満開の桜の樹の下で」は、私のような普通のエンタテイメントとして、オペラを楽しみたいという客を十分に楽しませてくれました。