日本人の魂の原郷

「背後霊」とか「守護霊」と いったことに 敏感に反応する人が多くいます。
特に 子供時代、友達が「背後霊が憑いた」「憑かない」といったことで大騒ぎしたことを思い出しますし、最近ではそういうことの専門家と称する怪しげなTVタレントが 人気を得ています。
私の家庭は、両親が「背後霊」とか「守護霊」といったことを 食卓での話題にしたことがなかったので、全く影響されていないのですが 世の中の多くの人が、少なからず影響されているのを見て「なぜだろう?」と不思議に感じていました。

人々は魂の不滅を信じています。 それが、仏教、ユダヤ教キリスト教イスラム教等のように体系づけられ 教典が編纂され大宗教になりました。
しかし、こういった宗教の歴史は、最も長いユダヤ教ですら たかだか わずか3千数百年 でしかありません。
埋葬の風習が でてきたのが、20万年前、 洞穴絵画がしられるようになったのが、4万年前ですから 今、知られている宗教より はるか昔から 「人は死ぬが、それは肉体が腐乱し 骨だけを残して 消滅してしまうだけで、死者は形を変えて どこかに存在しているのだ」と脳裡に浮かぶ 死者の生前の姿の残像や 夢見を根拠に 考えてきた筈です。

沖縄久高島の祭祀を記録した、この本を読むと 私達日本人が 538年の仏教伝来とか 1549年のキリスト教伝来より ずっと前は どのように考えて「魂の不滅」を信じていたのかを考えるキッカケになります。

祟る魂
魂は 宿る肉体の有無によってその名称が変わる。 すなわち、人が生きているときの魂は「生魂(イチダブイ)」と称し、人が死んで宿る肉体を喪失した魂を「死魂(ヒーマブイ)」と称している。この死魂が、守護霊にもなり、悪霊にもなるのである。 生魂の場合も 魂そのものの悪性のパワーが強い場合は、その宿り主自体も 同じ気性になると考えられていて、このような魂は 宿り主が寝ているあいだに その肉体から離脱し、他人に対して 悪さとか祟りをすると考えられている。 この魂の行為を 「イチジャマ」(ジャマは危害を加える意) と称している。気性の激しい人に このイチジャマをする魂の宿り主が多いと 考えられていて、そのような人は 日常においても 恐れられている。
一方で、宿り主が死亡した場合は、つまり魂の憑着(ひょうちゃく)する存在そのものを喪失すると、魂は浮遊状態になる。平常の場合は あの世ニラーハラーへ行くのだが、しかし、必ずしもすべての死者の魂が あの世に行けるとは限らない。 宿り主の生前の生きざま・死にざま などによっては、魂(マブイ)はあの世へ行けないこともある。(中略)

あの世へ行けず この世で浮遊している魂は、そのことを 宿り主の身内に、原因不明の病気とか、夢見、異常行動など、何らかの異常事態をおこして伝える。 つまり祟り状態をおこす。 これを「シラシ」(知らせ)とか、「ニンヌミグゥイ」(因縁ほどの意)といっている。
この魂の告知には 時間的な制限はない。 つまり、いつおこるかわからない。 しかし知らせる相手は必ず魂の子々孫々でなければならない。 子々孫々が魂の知らせに気づき、天界と地界にむかって 祈願する<天地御願>という儀式をすると、魂はあの世へ行くことができる。 しかし、子々孫々がいなかったり、魂の知らせを子々孫々が気づかなかったりすると、魂はあの世に行くことができず、この世で 浮遊しつづけることになる。
このような魂は、あの世へ行けないあせりで ヒステリックになっていて、無秩序に祟る 恐ろしい存在「悪霊(ヤムナン)」になる。(略)

「このような魂は、あの世へ行けないあせりで ヒステリックになっていて、・・・・」 なんていう表現がユーモラスで私は 好きなのです。
沖縄と日本本土とは 最近の1500年をみれば 歴史をみれば(日本本土は 宗教も政治も 538年以来 仏教の影響を受けています) 明らかに違いますが、 数千年単位で考えた時、中国大陸と離れて 太平洋のなかの 島々から成立していることを考えれば 沖縄も日本本土も とても似た考え方を持っていたとしても 不思議ではありません。
で、私がなにを言いたいか というと 沖縄久高島の 魂 の考え方が 本来の日本本土の 魂 の考え方だったのではないのだろうか? ということなのです。