日本のポップスをビジネスにした、渡辺晋、美佐さん

渡辺プロダクション創立50周年記念謝恩パーティー』 から、話はいつものように横道にそれましたが、今の私の立場になると、パーティーが重要な場なんだと気付いたことを昨日書きました。


話を元に戻します。(笑)


出席者の顔ぶれを見ていると、渡辺プロ50年の歴史が、何となくわかります。渡辺晋、美佐(敬称略)が映画製作をしようと思い立った時、多分、彼等はまだ30歳をちょっと越えた頃だったのだと思います。

一方、映画界は戦前からの歴史がありますから、渡辺晋、美佐がビジネスの話をした相手は、50歳 or 60歳の人達だった筈です。

したがって、その人達はご存命でも、100歳前後になるわけですから、パーティーに出席している筈はありません。


次にTV業界はどうなのかと思ってみていると、かなり多くのTV業界の先輩が出席されていました。この方達は、私がこの業界に入った時に、既に雲の上の存在の人達です。

渡辺晋、美佐がTV番組を作り始めた時に、TV局側で一緒に仕事をしていた人達ですから、ほぼ同年輩なので、現役を引退していても、お元気な様子で何よりです。

この人達より若い層は、私と同年か、私より若いのですから、私も随分長くこの業界にいるのだと感慨深いものがあります。


渡辺晋、美佐は音楽では、TV番組の制作を通して、日本のポップスを確立した最重要人物です。

番組でアメリカンポップスのカバーを所属歌手の ザ・ピーナッツ中尾ミエ、園まり、伊東ゆかり さん達が歌い、そのアレンジを、服部克久宮川泰すぎやまこういち、東海林修 さん達が担当するというところから、徐々に日本のオリジナルポップスが作られるようになりました。


続く