ラグビーと「自由と規律」 その3

また、昨日の続き


教師との対立は今考えても良くわからないのです。

教師は 『勉強しないといい大学に入れないぞ。君の人生に責任があるのだから私の指導に従え。』 と言います。

私は、 『自分の人生は自分で責任をとりますからほっといてください』 

今と違って、私が教室で授業を妨害するわけでもなく、

校外で不純異性交遊するわけでもなく、喫煙飲酒するわけでもなく、ただ成績の悪いおとなしい地味な生徒でした。 (笑)

2年生になる頃には、若干体力もついて、余裕が出てきて、練習のない日 試合のない日には、 ''音楽'' を聞いたり、 ''芝居'' を見たり、 ''文楽'' を見たり ''東をどり''(新橋の芸者さんの踊りの発表会) を見に行ったりと、何故か勉強とは違う方向に興味が出てきて成績は少しも上がらないという、できの悪い軟派系高校生の典型的なパターンにどんどんはまっていきました。

その間も、担任教師との対立は続き、

母親は毎週学校に呼ばれて、『ラグビーの部活を止めさせろ』 と言われていました。

男の子は多かれ少なかれマザコンだと思うのですが、

私は母親が亡くなるまで頭があがらなかったのは、

担任教師に毎週呼ばれて、いやなことを言われていながら、

私に 『ラグビーを止めなさい』 とは一度も言わなかったことにあります。


担任教師は本人に言っても、言うことを聞かないし、

母親に注意しても、その効果がでないので遂にキレました。

『これだけ言っても、部活を止めないのなら俺はもうお前の面倒は一切見ない。大学入試の内申書を書かない!』

これには私も動揺しました。