ニーベルングの指環3
<ニーベルングの指環> の最終日 ''神々の黄昏'' を見てきました。
序夜 ラインの黄金 第1夜 ワルキューレ、 第2夜 ジークフリート、
第3夜 神々の黄昏 の4部作を4日かけて無事見終わりました。
繰り返しますが、休憩時間を入れると毎夜6時間弱費やすのですから、
大事業を完成させたような気分です。(笑)
示唆を得て台本を自分で書き、作曲をしたのだそうで、
26年かけて完成させたということもすごいのですが、
この作品に詰め込んだ知識の量に圧倒されます。
神話が遠い昔に作られて、ワグナーがそれをもとにして、19世紀に再構築したということは、
神話の持つ内容が、現代にも通じる普遍性があるということです。
神話の時代の人々の考え方と、3000年とか4000年後に生きる、
私達の考えることは、そんなに違っていないのだということに気付かされます。
<『天皇』 というのは『ニーベルングの指環』 だ> と昨日書きました。
天皇制度は、世界に例を見ない神話時代から今日迄、途切れずに続いています。
神話が現代にそのままであり続けているのですから、
『生きている世界遺産』 じゃないですか。
憲法第一条に 『天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意
に基く』
と書いてあるのですが、何だか少し違う気がします。
天皇は、今も神話の延長線上で生きられている方です。
天皇家は 『世界遺産』 として世界文化のうえからもこれからも、
神話の世界の延長線の上で存在し続けるのだと思います。
しかし 日本国民が天皇を政治的に利用しようというのであれば、憲法第一条のような文言
になるのでしょう。
神話の継続とか新たな創造を国民の総意で決めていくってのは変だと思いませんか?
憲法上の規定はあくまで、政治的に機能していただく時のみに限るべきなんじゃないかと思うのです。
<ニーベルングの指環> を見てここ迄、話しが飛びました。
フワフワ考えるのも結構つかれるのです。(笑)