久世光彦さんのこと 2
『久世光彦さんが昭和の歴史を掘り起こす』 と昨日
書きましたが、政治経済の分野を指しているわけではありません。
実に些細な市民生活の変化を書き留めてくれています。
私は人に頼まれて講演をすることがあります。
日本の音楽が新しいメディアが登場するたびに
変化してきたということを話します。
私が物心がつきはじめた頃、戦後まもなくの頃の茶の間には
茶箪笥と卓袱台しかなくて、その茶箪笥の上には
ラジオが一台載っているというのが
東京の普通の家庭でした。
ラジオはまだNHKの第一 (総合) と第二 (教育放送)
のふたつしかなくて、そのNHKの第一から流れてくる
日本の歌というのは、藤山一郎さんを筆頭とする
音大出身の歌手が歌う、『青い山脈』 や 『長崎の鐘』、あるいは
『NHK歌謡』 と名付けられる歌曲だったのです。
やがて昭和26年民間ラジオ放送がはじまり、
NHKが放送する歌とは異質な三橋美智也、春日八郎、三波春夫、村田英雄
等の歌の時代が始まりました。
一方でアメリカンポップスもどんどん日本に入ってきて
いわゆる洋楽が好まれるようになり、
ラジオからそんなアメリカンポップスも放送されました。
昭和28年(1953年)に日本TVが白黒のTV放送を開始しました。
音楽番組も作られ、もちろんラジオから生み出された流行歌
の歌手が出演しましたが、TVという特性は 『ルックスが大事』
ということが認識されだして
といった若い歌手の活躍が目立ち始め、
アメリカンポップスを下敷きにした新しい、日本のポップスが
人気を得ました。
カラーTV放送は昭和35年 (1960年) に開始され
昭和39年(1964年) の東京オリンピックの年に
大きく伸びましたが、昭和43年 (1968年) に
(それが当時としてはとても買い易い値段だったので)
飛躍的に普及しその結果として
アイドルと歌手全盛時代を迎えるわけです。
白黒TVはラジオ媒体しかない時代に比べ
『歌唱力』はもちろんしっかりしてなければなりませんが、
『ルックス』 も重要になるのは当然のことでした。
カラーTVになると若い歌手の水水しい肌を
視聴者が求めるようになり、 『歌唱力』 よりも若い歌手の
『ルックス』 が大ヒットの最重要ポイントになりました。