ブランド品

沖縄に戻ってくると何となく 『ホッ』 とします。

空港の到着口の出迎えの人達の表情と、服装に飾らない

日常の生活が自然に出ているからです。

3月の終わりの今頃は気温も上昇して日によっては太陽も

夏のようにギラつきはじめます。

まだ Tシャツ一枚では少し肌寒いのですが4月に入れば

大丈夫でしょう。


空港から那覇国際通りに行ってみるとわかるのですが

地元の人で 『ブランド品』 を持ち歩いている人はほとんど

見かけません。沖縄では観光客か地元の人かの見分け方は

『ブランド品』 を身に着けているかどうかでも判ってしまいます。


東京渋谷の地下鉄の駅を地上に上がるエスカレーターに

乗るといつも十代の女の子と一緒になります。

彼女達は必ず 『ブランドバッグ』 を肩から下げたり

手に持っています。

それを見て 『親も大変だよな!』 と思うのです。


こんなに 『ブランド品』 が日本に浸透したのは

私の記憶では1970年代の初め頃からで、

そのキッカケは作詞家でかつ銀座のクラブ 『姫』 のママだった

山口洋子さんと歌手の五木ひろしさんだったのでは

ないかと思っています。


私は若かったのでクラブ 『姫』 などという超高級クラブ

には出入りできなかったので、山口洋子さんが

クラブ 『姫』 でどのような衣装を着ていたのかは知りませんが、

作詞家としてTV番組に出演する時は

紺色のブレザー、白のブラウスと首に 『エルメスのスカーフ』

というのが定番でした。とてもそれが感じが良くて

クラブのママなのに 『お茶の間の反感を買わないように』

かつ、華やかさを出しているなと思ったのを覚えています。

山口洋子さんが面倒をみていた五木ひろしさんは

『イタリア プッチーのネクタイ とか エルメスのネクタイ』 といった

海外有名ブランド品を身に付けていました。

1970年代の初めに山口洋子さん五木ひろしさんが

『ブランド品』 をTV番組に持ち込んで

銀座の 『ホステス』 と 『芸能人』 に拡がり

それを見て一般人にも拡がったのだと思っています。