ブランド品 その3

昨年の夏、愛知万博に行きました。

大阪万博にも 筑波の科学博も 混んでるところは

きらいなので行かなかったのですが、 友人の藤井フミヤ

名古屋館をプロデュースし、『見て下さい』 と招待してくれたのと、

私のレーベルの沖縄のミュージシャン、首里フジコが万博広場で

コンサートをしたので、それも 見ようと行きました。


藤井フミヤの 『巨大万華鏡』 も首里フジコの 『コンサート』 も

とても良くできていて大満足したのですが、

もうひとつ、日本政府館(?) の導入部に足が止まりました。

戦後からほぼ10年毎の一般家庭の 『茶の間』 の変遷

を展示していた部分です。


(『茶の間』という言葉も今では若い人には通じないでしょうか?)

戦後すぐの展示は、もっとも古い型のラジオが一台 『茶箪笥』 のうえにのっている

というもので、『そうそう、戦後直ぐは私の家の 『茶の間』 もこんな感じ

だったなあ!』と懐かしさで胸がいっぱいになります。

50年代にはラジオが『5球スーパー型』、

60年代は 『白黒TV受像機』

70年代は 『カラーTV受像機』

を中心とした展示がされていたのですが

80年代の展示にTV受像機の横にファミコン

繋がっていました。

急いで90年代の展示に足を進めると 『ありました!』

プレステがTV受像機に繋がれていました。
(ちょっとうれしかったと白状します。)(笑) 
 
沖縄市の 『音楽スタッフ養成講座』 の第一回の話の

半分はこの展示に集約されているのです。

家庭内で楽しむことのできる 『エンタテイメント』 の種類が

年毎に増加して 『茶の間』 には収容しきれない程に

なっています。2000年代を展示するとすれば

ブロードバンドにつながったパソコンのモニターが展示される筈です。

『もう十二分にあるよ!』 と叫んでも

技術の進歩はとまりません。

であるならば技術の進歩に見合うソフトの多様化を進めたいのです。


人の創ったソフトを楽しむだけではなく、

自分がソフトを創る側にまわってもいい筈です。


音楽を作る、映像を創る、ゲームを創る、絵を画く

野菜を育てる、料理を作る、家をリフォームする・・・・

『ソフトを創る』 は人生の大きな快楽だし

それを人に評価してもらえればもっと大きな喜びに

なると思うのです。

『ブランド』 を持つことより、三線(サンシン) を弾くことを、

島唱をうたうことを大事にする沖縄は

21世紀の日本の最先端地域だと私は考えています。

(ちょっと『力み』すぎですよね。)(笑)