佐野元春

「沖縄話」と「佐野元春話」が1日おきに出てくるので 混乱なさるでしょうが、お許しください。(笑)
私は ブログを書こうとしている時に そのとき一番気になったことを書きたいのです。
で、今日は また「佐野元春話」に戻ります。(笑)

佐野元春 Special 2006 Tour「星の下 路の上」のコンサートパンフレットを会場で購入しました。
パンフレットに佐野元春のロングインタビューがあって、気になる個所があるので 著者の
佐野元春の許諾も得ずに引用します。

佐野元春 x 曽我部恵一 から)

曽我部  今回(DaisyMusic)を立ち上げられたのは、ずっとメジャー・カンパニーでやっていた事に限界を感じてですか?
佐野   レーベルということで言えば、86年にレーベルというのを作って、それが最初のオウン・レーベルでした。当時はまだインディペンデント・レーベルという考え方がなくて、すいぶん「レーベルって何ですか?」って聞かれましたね。そのレーベルからレコードを出したり、雑誌を出したり、番組を制作したり、自分のテーマに沿って自由に表現できたり、仲間が増えたことが嬉しかった。しかしやっぱり大きな会社だと、上手く行っていないと効率主義になって来る。 メジャー・レーベルの場合、景気が悪い時はコア商品、つまりオリジナル・アルバム以外は出したがらない。そして現実的に、90年代終わりぐらいからレコード会社も景気が悪くなって、だんだん自由が失われて来た。僕は自由が好きだから、出せないのであれば自分で出す。自然な流れでそうなって来たんです。
(中略)
曽我部  僕は、ジョン・レノンが「曲をニュースのように出す」って言ってたように出したかったんです。でもそんなスピードに対応してくれるメーカーはなかなかなくって。
佐野   今、曽我部さんがおっしゃった事が本質ですね。僕たち表現者はやっぱり今の時代に生きてるから、何かを作ったらフィードバックが欲しいし、フィードバックを貰ったらまた自分からフィードバックしていきたい。そうする事によって、自分が今何を思っているかが確認できる。 これが商業の世界だけでやってると、「本当にこの表現でいいのだろうか?」と段々心配になって来るんですね。だから当てのない聴き手に対してよりも、コミュニティの一員として扱ってくれる聴き手に僕の音楽を提供して、そこできちんと音楽が機能しているか?を時々確かめたくなるんですよ。これが独立レーベルの一番元にある精神なんじゃないかな? 

 
私がこの個所を引用した意味をおわかりいただけますか?
佐野元春は更にこのインタビューの最後の方で こんな風に語っています。
『メジャーとも「また自由な風が吹いたら一緒にやってもいいな」っていう感じ』


この一連の「引用」は私が佐野元春曽我部恵一の考え方に同調しているから「引用」したのです。
「でも、変だと思いませんか?」
なぜなら この2人が異義を申し立てたメジャーレーコード会社のトップだったのが 私なのです。

「お前が その当事者だったのならば、何でその時に佐野、曽我部2人の言っているように対応できなかったんだ?」

ウー・・・・・・・・・・・。
「出来なかったんで、mF247をはじめたのです。(続く)