リリー・フランキー

昨日 姫路から戻って「東京タワー」についての ブログを書き終わる頃(11時15分)
TV番組「情熱大陸」で「リリー・フランキー」を取り上げていました。

「偶然だけど これは見なければ・・・・・・・」

「東京タワー」の著者はこんな感じの人だろうと考えていた「像」と違ったのでチョット
びっくりしました。
どんな風に違っているかというと 画面いっぱいに「躁」なんですね。

人物のインタビューは色んな方式があります。

報道(ジャーナリズム)色の強いメディアの場合は、取材にOKを出したら後は 取材側の
意図で記事や番組が構成されます。

娯楽色の強い、あるいは業界色の強い場合は 構成は取材側と取材される側が打ち合わせを
して作ることができます。

リリー・フランキー」の「情熱大陸」は 番組制作者の意図のみで構成されていうのだと
思うのですが(ということは) 「東京タワー」をどのように読んで解釈したのかということになります。

「東京タワー」は読者ひとりひとりの人生が違うように年代、生まれた場所、家庭環境、
等々によって 読み方が全く違うだろうと予想される小説です。
そんな小説の著者のドキュメンタリーを作るのですから とても難しい仕事ではあります。
小説に近付きすぎてもいけないだろうし、(ベストセラーといってもTV視聴者に比べたら
小説を読んでいる人は極めて少数です)小説から離れすぎてもいけないだろうし。
でも 番組制作者はものすごく割り切って「安いギャラでうだつのあがらない仕事をして
いたクリエーターが大ベストセラー作家になる」という「サクセスストーリー」を作って
しまいました。

小説を読んでいない いち視聴者として見ていると、「前向きな」「リリー・フランキー
さんが見られて面白いと思うのですが、一日違いで小説の読者になってしまっていた私には
「前向きな」「躁」なリリー・フランキーさんに違和感がありました。(笑)