宮沢喜一

今日、4月26日の日経新聞私の履歴書 宮沢喜一 第25回』 を読んでビックリしたので紹介します。

・・・略、

私は軽井沢で夏休みを過ごしていた。すると1992年8月18日に株価が1万4千円ぎりぎりまで下がった。

ここまで株価が下がると 『何か対策を打たないとまずい』 と思った。


・・・略、

私はこの危機の根は深いと危惧していた。そのきっかけは5月にフィナンシャル・タイムズ紙で、邦銀の不良債権が巨額に達するという記事を読んだことからだった。

『これは本当のことだろう』 そう直感した。

これが伏線となり、8月30日に自民党軽井沢セミナーで講演して、初めて公的資金の導入に言及した。

私は担保不動産の買い上げ会社構想に関連して 『必要なら公的関与をすることにやぶさかでない』 と表明した。

しかしマスコミを含め誰も賛成してくれなかった。

大蔵省は 『変なことを言ってもらっては困る』 という態度だ。銀行の頭取は 『冗談じゃない。うちはそんな変な経営状態ではない』 と思っている。

経済界も 『銀行に金を出すなんて』 と反発した。経団連平岩外四会長は 『そんなことは考えることもできません』 とけんもほろろだった。

私一人が頑張っても、とても導入できる環境ではなかった。

後に国会などで 『あの時になぜ導入しなかったのか』と叱られたが

『言ってはみたものの、できなかった』 と答えるしかない。

政府にも民間にも不良債権の実態が分かるデータすらなかったのだ。

我慢していれば、いずれ株価も地価も上がる。

まだそんな楽観論が支配して、結果として不良債権処理が遅れてしまった。


何でビックリしたのか?

宮沢喜一さんは 1991年の11月に首相になっています。
この記事を読むと 当時の宮沢首相が危惧を感じたのは「フィナンシャル・タイムズ」を
読んだからだと書いています。

このことから 第一に大蔵省から首相に何の情報もあげていなかったことがわかります。

第二にこの情報が 日本のマスコミ(新聞)ではなくて外国の新聞情報だったことが
ハッキリしてます。

第三に 「政府にも民間にも不良債権の実態が分かるデータすらなかったのだ」と
素直に書いていますが 「フィナンシャル・タイムズ」は 何らかの分析をして
「日本の邦銀の不良債権」が巨額に達するという結論を導き出したのでしょうから
「大蔵省」でも「新聞」でも「それができなかった」では済まないんじゃないんですか?


というわけで このことは明日に続けます。(笑)