宮沢喜一 その2

宮沢喜一私の履歴書から今日も引用しています。

『92年の5月にファイナンシャル・タイムズ紙で、邦銀の不良債権が巨額に達するという記事を読んで「本当だろう」と直感し、これが伏線となって92年8月30日の自民党軽井沢セミナーで講演して、初めて公的資金導入に言及した。(中略)

しかしマスコミを含め誰も賛成してくれなかった。(中略)

私一人が頑張っても、とても導入できる環境ではなかった。(中略)

我慢していれば、いずれ株価も地価も上がる。まだそんな楽観論が支配して結果として不良債権処理が遅れてしまった。(終)

宮沢喜一私の履歴書は驚くべき素直さで当時のことを書いています。『マスコミも大蔵省も銀行も経済界も経団連も全ての人達が事態を正確に認識していなかった。外国の新聞を読んだ宮沢喜一、唯一人が直感で認識できたのだ。』と言っています。

宮沢喜一は当時首相です。政府のトップです。その彼が進むべき方向を指し示したのに、公的資金導入反対の『風潮』のほうが圧倒的に強くて、何もできなかったと書いています。

政治家は『何かの政策』を実行したくて首相を目指すんではないのですか?『風潮』が自分の政策と反対の方向にあったのだから''できなかった''とあっさりと言われても『納得できないよな』です。(笑)

できないのだったら辞任すべきだったでしょう。何か新しいことキツイことを始めようとすると必ず反対論が出てきます。『何もそこまでしなくてもいんじゃない?』
賛成と反対の中間に『一般の人』が存在しこの『一般の人』は、『何もそこまでしなくてもいいんじゃない?』の反対論の方に次第に加担し『風潮』が出来上がります。『風潮』が出来上がっちゃったらもう新しいことキツイことはできません。

ですから『何か』をはじめる時30人以下で毎日『何をしたいのか』を確認しながら結束を固めていかなきゃならないんです。(笑)

私のように『民』の仕事は比較的簡単です。『新しいこと』『キツイこと』をする時に志願者を募ればいいのですから。志願者は『何かをしたい』ということを理解してチームに参加してくれます。

官僚とか大きな組織に突然新しいトップがやって来て、『何か』を始めると『冗談じゃないよ』となります。トップより現場が強くて、現場は『風潮』に守られているのですから新しいことキツイことなんかできません。

ですから、官僚とか大きな組織に発生する『風潮』という正体不明の『気』を相手にするのであれば『小泉純一郎』『小沢一郎』的手法をとらざるを得ないことを私は理解してしまうのです。

私はそんな圧力をかけるとか刺客を放つとかということが好きではないし、不得手なので小さな仕事を楽しみたいのですが、政治家には強引とか豪腕とかいう資質を期待します。(笑)