昭和史 その3

「昭和史」だからといって 突然「昭和元年」のころから記述が始まったら 読者に不親切
ですから 著者は当然のことではありますが、昭和元年の少し前の時代背景を説明して
います。 それが序章です。

で 昭和という時代に入る直前 つまり大正の終わり(1920年)頃の経済界の説明を
次のようにしています。

この時期の財界の中心勢力は、三井、三菱、住友、安田をはじめとする財閥であった。
大戦によって大膨張を遂げた久原、鈴木商店などの力も侮りがたかったし、いわゆる
二流財閥としては浅野、大倉,古河、藤田、川崎、松方なども それぞれ強い力を保持
していた。(中略)
しかしながら、大小の財閥だけが経済界の覇王であったわけではない。
大阪を中心にする鐘紡などの優良紡績会社(中略)や王子製紙(中略)などの大企業、
九州を中心にする大炭鉱会社の安川(中略)などの力も大きいものがあった。 さらに
個人としての富豪が経済界で活躍するものも稀ではなかった。(中略)
これら大小の富豪たちは一流企業の非常勤重役として多数の会社に勤務し、企業の政策
決定に参与すると同時に、株価の変動にともなう利益を享受しようとした。 この頃に
なると企業の中で育てられた生え抜きの社員が重役に昇進することは珍しくはなくなって
いたけれども、なお社外重役の地位が高く、大株主の発言力が大きかったのである。
①企業は株主のものだという考え方は まだ一般的であったから、利益金の大部分は
配当されるべきもので、企業の内部に留保されるべきものではなかった。重役賞与も利益金
の五分ないし一割という高率が常識とされていた。
②古典的な自由経済あるいは自由経済の建前のもとにおける個人としての資本家の優位は
なお生き残っていたのである。 当時最優秀企業といわれた鐘紡社長武藤山治が、社則を
改正して重役となる資格は五年以上同社に勤務したものでなければならぬと定めたのも
③大株主のエゴイズムに苦しめられた自己の経験からのことである。
④要するに昭和初期にいたるまで、現代の大企業において株主の支配力がきわめて低い
のとは対照的に、大株主の企業支配が一般的に続いていたのである。

①②③④という印は私が付けました。 ぜひ注意して読んでください。

「いかがですか?」「面白いでしょう?」
2006年の経済界の主流の考え方は 昭和初期1918年頃に戻っちゃっているんですね。(笑)(続く)