クリエーター大国 その6

一昨日は インデックスの小川さんの「オリジナルコンテンツに係わる権利分配の仕組みを早く作って機能させて欲しい。」という意見を紹介し解説しました。
そして 昨日は オリジナル・コンテンツに係わる新しい権利分配の仕組みはどういう考え方で作るべきかということを オリジナル・コンテンツを持っている側でもなく、オリジナル・コンテンツを利用したい側でもない、いわば中立の立場のフェイスの平澤さん、アクセスの荒川さんの考え方を紹介しました。
平澤さん、荒川さんの2人の意見は 「従来は コンテンツビジネススキーム(映画の配給、レコードの製造販売、放送局の免許制度等)をもっている企業が 権利所有者としての地位を得ていたのだけれど、ブロードバンドによる作品の公開が可能になってしまったから すなわち クリエーターと ユーザーがダイレクトにつながることが できるようになったのだから もはや企業が 今迄のように権利所有者としての強い地位を占めるのは難しくなった。」と問題提起しています。
この問題について 更に荒川さんと平澤さんの意見を転載します。

○平澤委員 さっき組織リッチから個人リッチという話がありましたが、その上でいろいろ考えた方がいいと思うのですけれども、確かに宮崎駿さんのような大監督があんな感じでという話が出ていましたけれども、映画業界を考えてみると、結局、日本というのは系列というのがあるわけですね。
 アメリカというのは、とっくの昔に御存じのように、製作会社と配給会社というのは、独禁法違反で別々にしなさいということになったのですが、今、まだ日本というのは系列でやっています。
 そういったことを背景に、昔は例えば何々映画専属の俳優とか、何々レコード会社の専属歌手とか、そういった方がいらっしゃって、実は私、もともと音楽関係にいたので契約書を見たことがあるのですが、魂まで売れみたいな内容なわけです。
 こういうことがずっとまかり通っていたという背景から考えると、やはりアメリカと日本というのは文化の違いがあると思います。
 やはり個を重要視するか、組織を重要視するかと、そういったところもあるので、やはりさっきの発言の中にもありましたけれども、今の産業構造というのをもう少し深く、何が問題なのかというのを洗い出すことというのは、実は非常に重要なことではないかと思います。
 今、残っている、後ろにどういう方がいらっしゃるかわからないで発言しますけれども、例えば音楽の方とか、映画のコンテンツに近い方をお呼びしてお話ししましょうという話になると、すぐ映画会社とレコード会社になってしまいます。
 実は、今、そういう方々を呼んでも本当にここで必要とする話は出てこなくて、今やレコード会社というのは、製造して流通するだけで、もしかしたらプロモーションもできないぐらいの力まで落ちている会社があるかもしれないですね。
 そうすると、今、何が末端のところかというと、いわゆる音楽制作会社、プロダクションでしょうか。それは非常に勉強になると思うのですが、ある程度私は代弁者としてお話ししますと、やはり制度として、あるいは著作権の流通の問題というのは、整備しておく必要は絶対的にあると思うのです。日本は、JASRACがあるという話がありましたが、果たしてJASRACだけでいいのかどうかという問題もあると思います。
 アメリカや何かの著作権制度、さっき私も触れましたけれども、要するに著作権料率の違い、要するにローカルルールと、グローバルのルールというのは違うわけなので、やはり国内外のルールというのをきちっと見ていかないと、本来の意味で、よく『世界に』という話が、今日のキーワードとしても出ていますから、その辺をいろいろと勉強していった方がいいのかなと考えております。

○荒川委員 
 ここで次に問題になるのは、恐らく既存の、今までパッケージメディアを通して文化創造に貢献してきた方々をどのような形で保護していったらよいのかと。ここを無視してしまいますと、せっかく今までつくってきたそのものを否定されて、新しいディストリビューションの仕組みができてしまったら、人たちの存在がなくなってしまうじゃないかということで、なかなかそこを容認できないというお話になってしまうと思うんですけれども、恐らく利益の管理の仕組みをうまく考えていけば、この問題も解消できるんではないかと。 なぜならば、課金についても電子的な課金でできるようになっているわけですから、物理的にお金を払うということになると、最終的にそこをコントロールすることは非常に難しくなりますけれども、どういう形で電子的な課金が行われて、それを配分していくのかということもネットワークの時代であれば、できるのではないかと。それをある時間軸の中で配分率を変えていく等々をしていけば、かなりリーズナブルな形でまとまっていくのではなかろうかと。
 私は、先ほどiPodの問題が出ましたけれども、ああいった製品は、日本から発信されるべきものではなかったのかと。インフラも整っていて、メーカーさんもたくさんいて、しかも良質なコンテンツがあるということを考えれば、ビジネスの仕組み、その他は日本から出てくるものではなかったのかと、そういうことをすることによって、どんどんと国自身がよくなると。そして著作権者が非常にもうかるという仕組みが可能になったのではないかと考えておりまして、今からでも遅くないと、早くやってそういうものを実現できたらよいのではないかなと考えているということでございます。

○牛尾座長 iPodが出なかったのは、日本がネットワーク社会に踏み切っていないという古い体制にあったからということですか。

○荒川委員 ああいうメモリーに蓄えて再生するというものは、ソニーさんにしろ、東芝さんにしろ、各電気メーカーさんはiPodに先駆けて出していらっしゃいました。ただし、著作権管理の仕組みですとか、実際の音楽そのものの配信の仕組み、その辺の許認可の問題というようなところの枠組みが、やはりつくり切れなかったというところが、一番大きな問題ではなかったかと思います。

ここ3日間でおわかりと思うのですが、「オリジナルコンテンツを所有している側が 実は二重構造になっているのだ。」ということがブロードバンドの時代になって顕在化してしまったのです。
従来型のビジネススキームを構築している企業が 今迄はオリジナルソフトコンテンツ側の代表として 色々な場面に登場していたのですが、今や オリジナルソフトコンテンツ側の代表は「クリエーター本人」なのだということになってきているんです。ただ 企業側が 未だそのことを 認めていないので もめている段階だといっていいのでしょう。ですから、オリジナルコンテンツを所持していると称している企業も 現在の状況に合わせて クリエーターに対する契約条件や特に利益の分配率を見直す方向付けをしなければならなくなっているのです。(続く)