クリエーター大国 その10

5月29日に「放送と通信の融合は正しいのか?」という題でブログを書いたら、その同じ日の日経に「SOCCER 巨大ビジネス」という記事を見付け「放送と通信の融合は正しいのか?」というテーマを6月3日迄続けました。
6月4日に「急成長可能なソフトビジネス」という題で このテーマを終わりにしようとしていたのですが、『いっていることはわかるけど 丸さんが何をやろうとしているのかがわかりません。』というコメントがついたので それでは 説明しましょうということで 新シリーズ(笑)「クリエーター大国」が続いているのです。
昨年の10月13日に このブログに“楽天,TBS株 大量取得”という新聞記事に関連して 私は次のように書きました。「新しいインターネット/ブロードバンドの環境は新しいコンテンツを作る人にチャンスを与えるのだと思います。作りたいテーマがあり、作る技量があれば制約が少なく、完成させて、見てもらう、聞いてもらえる、環境ができたことに、本当の意味があるのだと思います。」
mF247は「新しいコンテンツ(作品)を作っている人 又は作ろうという意欲のある人が世の中にいる筈だ。 そんな人達に場を提供して 未だ見たことのない、聴いたことのない新しいコンテンツ(作品)を世の中に出したい。」というのが設立の目的です。
この目標の軸はぶれていません。 私の考え方は全てここから発言しています。
ということで「昨日の続きを今日もまた・・・・・」です。(笑)

○山賀参考人 金丸委員がおっしゃられることはよくわかるんですけれども、ただ、自分が一消費者になったときに、今どんな曲がはやっているのかというときに、まず真っ先にテレビにかかっているかどうかというのは、テレビに対しての問題意識は私もありますけれども、一消費者になったときには、あのCMでかかっていた曲はいいねとか、最近、歌番組見ていないから、歌のことはよくわからないんだとか、かなり自分を振り返ってみても、音楽に接するスタイル自体が、テレビが一種の権威として、権威というのも変ですけれども、テレビを基準に売れている、売れていない、売れているから聞いてみようというふうなスタイル、まだまだそういうスタイルの人が圧倒的に多いと思うんです。それにはてなということを言い始めている人は、確かに割と先進的な人たちの間では、そのはてなはどんどん大きくはなっている。
そこのところのライフスタイルの問題ではないかと思うんです。テレビの問題である以前に、私たち視聴者側のライフスタイルとして、まだテレビから脱出することはちょっと難しいと私は考えています。

○牛尾座長 どうぞ。

○丸山参考人 先ほど言った大部分のテレビ局の問題点、免許事業でありながらといったことの部分というのは、先ほども言いましたけれども、すごく前からあって、免許制度なのに、私どもが音楽をつくると、テレビのドラマの主題歌をやってやるんだから、その出版権をよこせとか、あるいは原盤権をよこせとか横暴な態度を取っていて、これはデジタル問題とは全然関係なく、すごく昔からあるんです。だけれども、本当はこの問題が30年前に議論されていれば、もうちょっと私たちとするとやりいい30年だった。これは隣の山賀さんだって一緒ですね。

○山賀参考人 一緒です。

○丸山参考人 そうなんですけれども、でも、それは何かといいますと、家庭のモニターに絵を映すという、あの魅力的な技術というは地上波の放送というものがないと、あそこを通さないと我々のつくったコンテンツというのは家庭に届かないというのがあったから、やむを得ず、私たちは30年も、40年も本当によくないお代官さんの言うことを聞いていたんです。
 それで、今問題になっているのは何かといいますと、ブロードバンドになって家庭のモニターに、今はパソコンのモニターですけれども、あっという間にテレビと同じモニターにいろんな画像が届くようになるでしょう。チャンスではないですか。だから、そこのところに三木谷さんや堀江さんが殴り込んでくるという気持ちもわかりますけれども、でも私は、テレビ局のところに入っていくよりも、そういう方々が新たに自分で新しい権利関係をクリアーして、自分でつくってみてやるというのがないと、新しいコンテンツの新しいタイプというのは出てこないと思っているんです。