勉強と教育

奈良県の医師の長男の私立高校一年生による母子3人を放火殺人した事件で逮捕された長男は報道によれば「幼稚園の時から父親の監視下で長時間勉強させられ、つらかった。みんなと同じように遊びたかった。」と話しています。
「「勉強」と「教育」とは どのような関係なのだろうか」と考え込んでいます。
「おまえのところは社員教育がなっていない」なんて言い方をよくします。
「長時間勉強させられて つらかった。」という使い方をこの高校一年生はしています。
「勉強」とか「教育」という言葉には何だか重苦しい気分がつきまとっていると感じるのは 私が勉強嫌いだったからなのでしょうか。
「勉強」と「努力」とは同じような意味に使われているような気がします。 努力しなければ勉強の成果はあがらないという風に使います。 そして「勉強」と「努力」を強制する方法やシステムが「教育」なのだということに今の日本はなっています。
私は不得意課目を克服するために「努力」することよりも「好きなことを寝ることも忘れて、時間も忘れて集中して楽しむ」ことの方がはるかに豊かな人生を送ることができると信じているので 勉強を無理やりさせていい成績をとるように強いる 今の一般の「風潮」に賛成しません。
教育は「時間を忘れて集中して楽しめるもの」を見付けることを目的とし、その目的を達成する為に 必要な技量と情熱 を手に入れられるよう応援することなのではないかと思っています。