小林信彦「うらなり」

先週末、沖縄に戻る飛行機のなかで読もうと、空港内の本屋で小林信彦「うらなり」を買い求めました。
山本夏彦 山口瞳 久世光彦 小林信彦は私の大好きな作家だと 何度もこのブログに書いていますが 好きな理由をここでは書きません。 この4人の作家の本をみつけると迷わずに買い求めます。
といっても 山本夏彦 山口瞳 久世光彦は既に故人となってしまいました。 健在なのは小林信彦ただ一人です。
その小林信彦が「うらなり」を文芸春秋社から出版しました。この小説の説明を小林信彦本人の創作ノートから引用します。

1970年代のなかばであった。
ある作家との対談が終わったあとで、ほっとしたぼくは、小説について幾つかの思いつきを口にした。
ぼくより少し年下の作家は無口な人で、現在も仕事を続けている。40になってすぐぐらいのぼくは、彼には気を許して、よく喋った。
漱石の『坊っちゃん』という小説があるでしょう。あの中に、うらなりという人物が出てくるのを覚えていますか」
「ええ」
相手はうなずいた。
「ぼくの考えでは、坊っちゃんの行動は、うらなりから見たら、まるで理解できないのじゃないかと思うのですよ。不条理劇みたいでね。 その、うらなりの視点から見た<坊っちゃん>を書いてみたいのですよ」
相手は一瞬沈黙したが、
「それはすごい着想ですよ」
と目を輝かせた。
「いつ、お書きになるのですか?」

というわけで、この「うらなり」を読むには その前に夏目漱石の「坊っちゃん」を読んでいないといけないわけです。(笑) まあ「坊っちゃん」は中学生の必読書ということに普通はなっていますから、どなたもお読みになっているだろうとご推察申し上げるのですが(笑)、私の息子の一人に聞いたら「読んでネーヨ。」とあっさり答えたので、私としては「ビックリした」と大声でいうわけにもいかず、小さな声で「もしもお読みになっていないのでしたら いまからでも遅くありませんから、是非一度お読み下さい。」と言うしかありません。(笑)
「うらなり」は 大変興味深く楽しめる小説なのですが、小林信彦には申し訳ないのですが、この巻末に掲載されている「創作ノート」が実に面白いのです。 再び引用します。

<坊っちゃん>が<うらなり君>をたちまち<君子>だと信じるのは、いわゆるにふさわしい。
坊っちゃんと呼んだのは、確か大岡昇平氏で、一度お目にかかった時に、その話をしたことがある。大岡氏の血液型がB型で、たまたま僕もB型だから、ときいただけで通用するが、一般の人には通じるはずがない。<そそっかしい正義派>とでもいえば良いだろうか。 自分のことを棚に上げていうのだが、大岡氏がまぎれもない正義派で、元「新潮」の編集長のS氏が <少年のような人>と形容していたから間違いないと思うのだが、論争などでは、20代のぼくから見ても、やや <そそっかしさ>が見えた。 これは育ちの良い都会人の一典型で、立身出世主義にこりかたまった地方出身者から見たら嗤うべきものであるだろう。 そして、『坊っちゃん』はが地方でどんな目に遭わされるかという物語であり、漱石その人もB型だったように記憶している。

重ね重ね(かさながさね)小林信彦に申し訳なく思うのですが、「創作ノート」のなかで、小林信彦がどれ程「坊っちゃん」を「たて」「よこ」「ななめ」から研究しているかを「楽しげに」「うれしそうに」詳細に書いているのに、その部分をとばして、もっとも研究的価値がなく 意味のない個所を私はとりあげてしまっています。
に反応してしまったのです。(笑)
「たまたまぼくもB型だから、ときいたでけで通用するが、一般の人に通じるはずがない。」
ここのところで 私は「大笑い」してしまいます。
続いて「B型ヒーローの大岡昇平氏は論争などでは20代の(若造の)ぼくから見てもややそそっかしさが見えた。」とあって又「大笑い」です。
「アッ! 申し遅れましたが、私(丸山)はB型です。」

うらなり

うらなり