レコード史 3

この数日 私は音楽の中身や質や内容を無視して「音量の増大が音楽を発展、発達させてきたのだ。」ということを書いていますが、これが非常に片寄っているということは自覚しています。(笑)
しかし20世紀の初頭までは「レコード」がなかったのですから、音楽を聴いて楽しむことは 「コンサート」に限られていたわけです。 音楽を聴いて楽しむという「コンサート」を経験できるぜいたくは、一部の上流階級にしか許されていなかったのですが、市民階級の音楽愛好家によるコンサート聴衆人口の増加が 「コンサートホール」「オペラハウス」の建設をうながし、それ迄「作曲家という音楽家」の職場が「教会のオルガン弾き」か「宮廷、貴族の大広間で演奏する演奏集団の楽団長」ぐらいだったのが 「コンサートホール」や「オペラハウス」の専属音楽監督や 専属指揮者という新しい職場を生み出しました。 音楽愛好家が市民層に飛躍的に増えましたが、19世紀から20世紀の初頭までは 音楽供給の拡大は「音量の増大」による「コンサート会場の大型化」しか解決方法はなかったのです。「大型化」といっても限界があります。
私の少年時代を思い出すと、最初に連れられて行ったコンサートが 松浦豊明のビアノ独奏会で7才の時です。 そのコンサートは 松浦豊明が1948年の毎日音楽コンクールで1位をとった記念リサイタルで、日比谷公会堂で催されました。 それ迄ピアニストの上手な演奏というものを聴いたことがなかったのですから、小学一年生の私は衝撃を受けました。「コンサート会場に足を運ばないとチャンとした音楽を聴くことができない。」という状況を 今の人達は想像できないと思いますが、わずか50年前までは 「音楽はナマで楽しむもの」 あるいは「音楽はナマでしか楽しむことができないゼイタクなもの」だったのです。
20世紀に入って「レコード」が発明されましたが 最初の頃の「レコード」の音質は 「コンサート」に代わるほどのものではありません。 しかし1950年代に入ってビニール製の「シングル」と「LP」が実用化されて その音質の飛躍的な改善は 音楽愛好家が「コンサート」に参加しなくても 音楽を楽しむことが可能な程になったのです。 これは大発明でした。