レコード史 6

1968年の8月に私は創立したばかりのCBSソニー(現ソニーミュージック、SME)に入社し、営業に配属され、簡単なトレーニングを受けたあと、仙台に赴任しました。 担当は私一人で 地域は東北6県という ずいぶん乱暴な使命を与えられました。 東北6県全部となると やたら広域ですから移動に時間がかかります。 列車の本数もそれ程ありませんから 時間の制限もあって 県庁所在地と2番都市ないし3番都市の大きなレコード店だけしか取引することができませんでした。営業として訪店しているうちにわかったのですが、当時のレコード店の店主や主要店員は 地域の「音楽愛好家」の「好み」を完全に把握していました。 このクラシックの新譜だったら「あの人」と「あの人」、 このジャズの新譜だったら「あの人」と「あの人」と「あの人」が買うだろう、 といった具合です。 「音楽を本当に好きな人」がそれほど多数いたわけではなかったのです。 店主は クラシックとジャズのお客様リストが頭に入っているし、若い主要店員はロックを好む大学生や高校生を相手に 試聴させたり、ロック談義をしながらレコードを売っていました。
1970年に仙台営業所の担当を外れて、香港営業所に赴任し、1972年に東京営業所に戻ってきた時に、マーケットが大きく変わっていたことに ビックリしました。 それ迄長いこと「音楽愛好家」というのは「洋楽」好きの人を意味していたのですが、私が香港にいたわずか2年の間に 日本の音楽シーンは大きく変化しはじめていて、多くの若者が日本語で洋楽の影響を受けた音楽を創りはじめ、それが支持されはじめていたのです。 つまり「音楽愛好家」は必ずしも「洋楽好き」だけではなくて「日本のフォーク好き」という新種もでてきていました。