ゆっくり動く時代 3

1945年以降 アメリカ占領軍、1951年以降 アメリカ駐留軍の存在が日本の政治経済文化等あらゆる分野に影響を与えました。
団塊の世代がまだ「物心」のつく前に 東西冷戦が激しくなって 朝鮮動乱が起こり(1951年)、 日本はアジアに於ける 西側の最前線に位置付けられ、朝鮮動乱の戦場で必要とする物資の生産を担ったおかげで いわゆる「特需」が出現し、敗戦後の経済復興を大いに助けました。
そして 1947年生まれの団塊の世代の先頭が12才になった時(1952年) TV受像機が全国に普及し、そのTV番組の主要なプログラムのひとつに アメリカ制作のホームドラマがあったことは、団塊の世代の考え方に極めて大きな影響を与えました。
アメリカ制作のホームドラマに写しだされた アメリカの豊かな家庭、例えば 電気洗濯機や電気冷蔵庫とそのなかに収納されている ミルク、コーラ、ハム、 広い居間にあるTV受像機とオーディオセットとアメリカンポップス、 高校生が車を運転して 外出した先のダンスパーティー、 その高校生が着ているのは 学生服ではなくて カジュアルなT−シャツ、Gパン。
これらの描写は まだ それ程豊かでなかった日本の団塊世代の少年少女に「あんな楽しそうな豊かな生活をしたい。」という目標を しらずしらずのうちに 与えました。
アメリカ制作のホームドラマにでてくる父親は どんな仕事をしているのかわからないけれど そこそこの収入があるようにみえ、母親と仲良くて 何かというと「チュッ」とキスをし、子供達の行動にやたら理解を示しました。
一方、日本では そのアメリカ制作のホームドラマを視ている団塊世代以降の少年少女の両親は 家族を食べさせようと血相を変えて 仕事をしていました。
団塊世代の両親は 戦争経験者です。 日本がそこそこの国際的な地位を占めていた時も知っている一方で、その日本が掲げた国策によって 戦地で戦ったり、国内で空襲にあったりして、生活の基盤を全て失って 敗戦に直面した経験をもっています。
戦争前の価値観で育っていますから、敗戦後 急に民主主義だと言われても 素直に対応はできません。
それよりも何よりも 家族を食べさせようと必死に働いていましたから、子供達が アメリカ制作のホームドラマを視ながら、自分達両親と全く異なる価値観を 体内・脳内 に育てているなんて、気付いてもいませんでした。
戦争経験者の両親は 子供達に日本の伝統的な考え方を折りにふれて語ったり、そんな考え方で説教したりしていたはずです。
しかし それを聞かされていた団塊の世代だった子供達は、少しは両親の言う事を理解したかもしれませんが 「自分の親は古いよな! アメリカの家庭の親がうらやましいな!」と思っていた筈です。つづく