イノベーション25 その2

私が 政府の「イノベーション25」なんてものに興味を持つのは「へん」だと 自分でも感じています。(笑)
しかし、「画期的な新しい技術なんてものは そろそろ出尽くしたんじゃないのか」 という私の乱暴な考えをブログに書いてしまった直後に、各界の権威ある人達が「こんなに素晴らしい未来の技術進化の展望があるよ。」というのであれば、 私が不勉強で何も知らなかったということになるのですから、「チョッと格好が悪いな。」と気になってホームページを読んでみました。

読んだ後の感想の結論から言えば 「安心しました。」です。
私の考え方は それほど間違ってないみたいなのです。
 「この先25年間位は 画期的な技術の出現はなさそうで あったとしても タイシタモンジャナイ」 らしいのです。
 それはそれでいいのですが、一方で、あんまり面白くない時代が続くのだとすれば「退屈で、マイッチャウナー。」 でもあるのです。(笑)
私より若い世代の人は、ものごころがついてから 最近まで、常に「技術革新」による新商品と 「技術革新」による新しいサービスを経験してきましたから、「世の中は毎日進歩するものだ」 という経験しかもっていません。

私が生まれたのは1941年ですが、敗戦の年が4才でしたから、最初の頃の記憶なんて 東京の焼け跡だけです。
小学生の頃まで、私の住んでいた東京の飯田橋周辺の道路に 牛車が往来していました。(本当の話です)
1955年頃まで(つまり昭和20年代)というのは、戦災による焼け跡を いかに復興するかということで、世の中は精一杯でした。
ですから「技術革新」といった環境は全くなかったのです。
その頃の最大のテーマは、三食を腹いっぱい食べられるかどうかでした。
食料事情が解決し、経済が成長し 家庭に電気洗濯機 電気冷蔵庫が備えられるようなったのは 1950年代の終わり頃です。
1959年に平成天皇が皇太子だったときに結婚式があり、その日の祝賀パレードがTV中継されることがきっかけで 白黒TV受像機が大普及したことは 前にも書きました。
このTVの普及の時期に団塊の世代の先頭が たまたま12才(小学6年生)であったことが、それからの日本の社会を大きく変えていったことに気付いたのは、ずっと後のことです。
1964年に オリンピック東京大会が開催されました。 これにあわせて 東海道新幹線が開業しました。

団塊の世代の先頭は 高校一年です。
1970年に 大阪万国博覧会が開催され、これにあわせて 前の年に 東名高速道路が全通しました。

団塊の世代の先頭は 就職しました。
TV、新幹線、高速道路という社会のインフラが この約10年の間に整備され、そのインフラの上に数多くの技術やソフトやサービスが開発され、実用化されて 今に至っています。

「イノベーション 25」

ここ6回、47秒の音楽、つまりは47(よんなな)について書き続けたので、結構疲れました。
南国酒家さんのコメント「長い前フリ ご苦労様」を読んだ時には、大声で笑っちゃいました。
好意と多少の皮肉のバランスが絶妙で、とても気持良かったです。(笑) 有難うございました。

そんなわけで いつもの調子に戻るのですが、47(よんなな)話の最初(2月20日)にも書いたように
今 日常的に使われている科学技術の原理の多くは 19世紀中頃に発明され、発見され
20世紀の前半に実用化のメドがたち、20世紀後半、つまり第二次世界大戦後に大量生産され
日常化されて 今にいたっています。

で、「画期的な新しい技術 なんてものは、そろそろ出尽くしたんじゃないだろうか?」が私の最近のテーマです。(笑)


2月27日付日経新聞第一面下段のコラム「春秋」に1901年(明治34年)の正月に当時の「報知新聞」が予想した科学技術の進歩の夢が引用されていました。


「急行なら 東京神戸間は二時間半。 石炭を使用せざるをもって煤煙(ばいえん)の汚れなく。」とか
「天災中のもっとも恐るべき暴風起こらんとすれば、大砲を空中に放ちて 変じて雨となす。」とか
「切開術(手術)は電気によるをもって毫(ごう)も苦痛を与えることなし。」とか
「人と獣の会話自在」といった100年前の科学技術の進歩の夢が描かれていました。


ここに描かれている技術進歩の夢は 未だ実現していないものもなかにはありますが
日本人が20世紀の初頭にイメージした夢は ほとんど実現してしまったといえるでしょう。
そして その同じコラムの記事の中に、最近政府がまとめた、20年後に向けた新しい夢「イノベーション25」についても書かれています。
イノベーション25」って何だろう? と内閣府のホームページを見てみると、たいしたことは書かれていません。(笑)
イノベーション25戦略本部」で議論なさっている各委員は各界の権威ある方々なのですが
ビックリするような夢を語ってくれていません。
「ナーンダカナー・・・・・・・。 面白そうじゃネーナー・・・・・・。」です。

で、おもうに、「イノベーション25」のつまらなさは 各委員の方々の能力が低いといったことではなくて
「画期的な技術の進歩が そろそろ出尽くしたこと の反映」なんじゃないかと思うのです。

47(ヨンナナ)オープン!

47(ヨンナナ)

今日は、私がこれからはじめようとしている「着うた 47秒 セレクトショップ」のはなしに付き合ってください。CDシングルが衰退しているのは、統計的にみても間違いのない事実ですから、対策が必要なことは明らかです。CDシングルの代わりのメディアが「着うた」である。・・・というのはいささか飛躍しすぎだと自分でも判っています。(笑)

CDシングルの代わりは「着うたフル」だ。・・・というのが素直です。しかし、私が何度も強調しているように、最近の曲は「長い」「難しい」という事実も一方であります。ユーザーは「長い」「難しい」曲を扱いかねてメンドクサイから「サビ」だけ聴いて、曲全体を推し量るという極めて高度な技術を習得しちゃったらしいのです。(笑)

人は一度習得した技術を忘れないものです。何がいいたいかというと、ユーザーは「長い」「難しい曲」より「短くて美しい曲」を待っていると思うのです。

今はまだ「長い曲」「難しい曲」「サビが派手な曲」全盛ですから、私の提案するような方向に制作方針を切り換えるのはリスクが大き過ぎると、ミュージシャンの皆さんや関係者は腰が引けています。私はなにも「私の対案を全面的に採用すべきだ」などという乱暴なことは言ってません。(笑)当面、どうぞ皆さんは今までどおりにおやりになればいいのです。

しかし「マルヤマの言っていることにも一理あるかな?」とチョットでも思ったら、本線は今までどおりにやる。しかし支線の「着うた 47秒 セレクトショップ」で静かにさりげなく「Aメロ、Bメロの美しい曲」を販売して、様子をみてみるというのはいかがでしょうか?・・・・・ということです。(笑)

「着うた 47秒 セレクトショップ」の名前はそのものずばり「47(ヨンナナ)」としました。DoCoMoとSoft Bankで静かにオープンしています。
DoCoMoとSoft Bankの携帯お使いの方は「 yonnana.jp 」にぜひアクセスしてください。(右上のQRコードでもアクセスできます)

3月中旬にはauもスタートします。auをお使いの方はすみませんが、しばしお待ちください。

着うた 47秒 その2

最近の私は、昨日のブログでまとめたようなことをロック系、シンガー・ソング・ライター系のミュージシャンの所属している事務所の社長さんやレーベルの責任者、プロデューサーや直接ミュージシャンに会って話しをしています。前にも書きましたが、私は確信を持っているので、口には出しませんが「私は正しいことを言っている。私の考え方に全ての相手は賛成する筈だ」という気分で話しをするので、相手にとっては「ウットウシイ」存在になっています。(笑)そのうえ業界のなかで、私はいまや「長老」に分類される位置に居ますから、あんまりじゃけんにもできず、相手は対応に苦慮することにもなります。(笑)

状況はこんな感じなのですが、時代は確実に「私の言っている方向」に移っています。今年のグラミー賞の結果はヒップホップ、ラップの退潮が明らかになってきているし、美しいメロディーをもつカントリー系のミュージシャンが躍進しているようです。グラミー賞のTV中継を見ていた人から聞いた話しですが、ロック・アルバムの賞をとった「レッド・ホット・チリ・ペパーズ」が受賞のスピーチで「おい、みんな!ロック・バンドをやんなよ!」と呼びかけたのだそうです。(笑)

音楽の流れは大きく変化しはじめていますから、それに上手に対応したいのです。「流行の変化はスカートの丈(たけ)(長さとか高さの意)の変化と同じだ」という言い古された言葉があります。「歴史は繰り返えす」という言葉もあります。

曲がどんどん長くなって、ユーザーが追っかけきれなくなって「サビ」だけしか認識できない、というとことまでになっています。しかし、流行は「短い」シンプルな「美しいメロディー」を持つ曲がいいという反対方向に移りつつあるというのは言いすぎでしょうか?長く続いた「ロングスカート」の時代が、そろそろ終わって「まぶしいミニスカート」の時代が目前に来ていると思っているのです。(笑)

とはいっても今日現在は「長い曲」「むずかしい曲」の全盛期であることは間違いありません。そろそろ「ミニスカート」の時代ですよ!とロック系やシンガー・ソング・ライター系のミュージシャンにささやいても、すぐには、その方向に動いてくれないのもわかっています。(笑)それで私は乱暴ですが、「ミニスカート専門セレクトショップ」ではなく「着うた 47秒 セレクトショップ」をオープンすることにしました。
(つづく)

着うた 47秒 その1

かなり長文のブログを書き続けています。相変わらず「話」はあっちこっちに飛ぶので、わかりずらいと思うので、これまでのところを簡単にまとめました。

  1. 最近の音楽は「長い」し「難しい」ので、ユーザーは「サビ」しか覚えられなくなっている。
  2. 「サビ」を覚えるだけなら「CDシングル」を買う必要はない。「着うた」で十分間に合ってしまう。とユーザーは考えているらしい。
  3. こういう流れのなかで、「CDシングル」は急速に衰退し、「着うた」が「CDシングル」の代わりのメディアになっているらしい。
  4. その結果、ユーザーは「サビ」がやや地味なロック系、シンガー・ソング・ライター系の作品を「着うた」では聴かないので、しだいにロック系、シンガー・ソング・ライター系の作品が存在していることすら、知らなくなっているらしい。
  5. ロック系、シンガー・ソング・ライター系のミュージシャンの音楽をユーザーが聴くチャンスをつくらないと、このジャンルのヒットが生まれなくなる。
  6. それならばロック系、シンガー・ソング・ライター系のミュージシャンは「どうしたらいいのか」という対策を考えなければならない。
  7. 「着うた」は「サビだけ」とか「曲の一部」でなければいけない、という規則があるわけではないのだから「着うた機能」を使って、自分の作品を発表することを考えたらどうか。
  8. つまり本来「サビ」を聴かせる為の「着うた」を逆用して「サビ」に頼らず、例えば「Aメロ、Bメロ」のみでユーザーが納得する完成度の高い短い曲を携帯「着うた」で配信したら、どうだろうか。
  9. 制作上、やや不自由に感じるだろうけれど「CDシングル」が衰退しているのだから、代わりに主役になりつつある新しいメディア「着うた」機能を上手に使うことを真剣に考えるべきだ。
  10. 私が研究したところ、「着うた機能」を使い、47秒のサイズなら、音質は問題ないし、「尺」は表現するのに必要な「実用可能」な長さであることがわかった。
  11. ビートルズ美空ひばり吉田拓郎やアイドル歌手を含む60年代、70年代前半迄の曲はどれもが「着うた・47秒」のサイズのなかに、ワンコーラスはスッポリ入っているのだから、CDシングルの代わりのメディアとして「着うた」を使うことは、実用可能であることは、証明済みである。

まあ、まとめるとこんなことを書いたのです。(笑)

(つづく)

着うたはCDシングルの後継 その3

2回にわたって「着うた」がCDシングルの代わりになっていることを書きました。シングルがユーザー(リスナー)から「NO!」をつきつけられていると、私は勝手に判断しています。(くりかえしますが、世の中の全ての人が、そう言っているわけではありません。念の為)

「着うた」はJ−POPやラップ系の曲にはむいていると思いますが、ロック系、シンガー・ソング・ライター系の曲にはあんまりむいてはいない。と書きました。「着うた」は、曲を30秒前後のパーツに切り取って携帯サイトにアップします。30秒のパーツを切り取ることに普通ミュージシャンはかかわっていません。ミュージシャンは完成された一曲全部には大きな関心があるのですが、その楽曲の二次利用である「着うた」なんかにかかわったりしないもんです。

しかし「着うた」がCDシングルの代わりになちゃっているんだったら、ミュージシャンは本気で「着うた」にかかわらなければならないと思うのです。ロック系、シンガー・ソング・ライター系のミュージシャンは「着うた」の機能を使いきるんだ、と考えて欲しいのです。実は「着うた」は47秒前後迄は良音質で収録可能です。ですから「47秒という着うた」の「尺」のなかで、どれだけ「自分の音楽」を表現できるかをトライしてみて欲しいのです。

曲を作る時、ロック系、シンガー・ソング・ライター系のアーティストは普通は長さの制約がありませんから、色々考えて比較的長い曲が出来上がります。しかし、「着うた」という「尺」を使うということを前提とすると制作の自由は大きく損なわれます。まあ普通は「そんなのイヤだよ!僕は自由に作りたいんだ!」といいますよね。でもね、考え直してください!「47秒の完成された曲」を食べたくて、池の中で待っている魚が沢山いるんです。(笑)

自由であることは、色々工夫してしまうということになります。そして何故か「長い曲」「むずかしい曲」が出来上がってしまいます。工夫するということは、人間の持っている最高の美点の一つなのですが、工夫を重ねると本当の良さが消えてしまうという事実もあります。このことを私は「着うたはCDシングルの後継 その1」で詳しく書きましたから、ぜひもう一度読んでください。

本来、人間はいろんな活動を自由にやりたいと願うのが普通ですが、わざわざ制約を作って、その中で、最高の技術なり美を追求するという知的な楽しみ方もあることを知っています。手を使用してはいけないというルールを作って、足だけでゲームをするというサッカーが世界中で大人気なのは、その最たるものです。

日本の短歌や俳句だって同じようなものですよね。「五・七・五・七・七」とか「五・七・五」のなかに「恋の情熱」や「人生のはかなさ」などというあらゆる事象を表現しきってしまう、という技(ワザ)を昔から日本人は開発してきました。「47秒という尺」の制約は、クリエーターにとって挑戦のしがいのある制約だと思うのですが。(笑)
(つづく)

着うたはCDシングルの後継 その2

最近ウダウダ考えていたことがまとまってきたので、長いのですが昨日まとめて書きました。今日は昨日の続きです。

私はCDシングルが携帯の「着うた」に移行してしまっている、と断定しちゃっています。こんなことはまだ世の中では誰も言っていませんから、本当かどうかはわかりません。ただ私は「そうなんじゃないか?」と思っています。

「着うた」は「着うた」に過ぎない。CDシングルの代わりになるとしたら「着うたフル」だろう、というのが一般的な考え方だとは思います。「着うたフル」を必要とするのは、今の一般的な曲の長さが4分以上、あるいは5分を超えるものがあるからです。

60年代、70年代前半の曲はみんな2分30秒ぐらいのものでした。何で長くなったのかといえば、曲を作るクリエーターが「何とか新しいものを作りたい。他人の作品と差別化したい」と思ったからでしょう。あるいはドーナツ盤では曲が長いと音がひずむけれど、CDだと音が劣化しないからといった理由もあるでしょう。そうしているうちに最初は「長いな!」と思う「尺」が普通になってしまったのです。

「着うたフル」は音をそれ程劣化させないで携帯で長い曲一曲をまるまるDLできる新しい技術です。でもこの技術が出て来る前に「着うた」が世の中に登場し、長い曲の一部を切り取ることが普通になった時、ユーザー(リスナー)は気づいちゃったんですよね。この曲はこの「サビ」が命なんだから、これで十分だよね!と。それでCDシングルを買う人がどんどん減少し、「着うた」がどんどん伸びるという現象になってしまいました。

J-POPを作る優れたプロ作家は「超派手なサビ」や「超わかりやすいサビ」を作るし、ラップ系は「サビ」に行くまでがやたら単調で地味なので「サビ」しかユーザー(リスナー)は覚えられませんから、どちらも「着うた」で十分 といってしまえば十分なのかもしれません。

それに比べるとロック系、シンガー・ソング・ライター系の作る曲は「着うた」では中途半端です。「サビ」に行くまで地味すぎると派手な「サビ」が浮いちゃうし、「サビ」に行くまでをソコソコに作ると「サビ」が目立たないし(笑)。そんなわけで「着うた」はロック系、シンガー・ソング・ライター系には不向きなメディアなのです。(笑)

でも深刻な問題は、ユーザー(リスナー)はCDシングルから「着うた」に移ってしまっていることです。CDショップのCDシングル売場のお客さんは明らかに減っています。つまり池の中に魚がいないのです。魚のいない池で「釣り」をしても魚は釣れない、です(笑)。

そこで私の「大発見!」の登場の意味があるのです。

ロック系、シンガー・ソング・ライター系は「Aメロ、Bメロ」で完結する曲を作る、です。「そんな乱暴な!」といっても、世は「CDシングル」から「着うた」に移行しちゃってるんだから「こんな考え方があってもいいんじゃない?」と思うのです(笑)。「着うた」はイコール「サビ」と思っているでしょうが、そんな規則があるわけじゃありません。携帯の「着うた」の機能をつかって、1分弱の高度に完成された曲を発表してもいいはずです。

携帯の「着うた」という池には魚が沢山いることがわかっています。魚のいるところで「釣り」をしましょうよ!です。ロック系、シンガー・ソング・ライター系の好きなユーザー(リスナー)・ファンは「サビ」だけじゃ釣れません。必殺の「Aメロ、Bメロ」だったら釣れると思うのです。(笑)
(つづく)